10数年の里親経験で感じた日本の課題
親と暮らせない子ども約4万5000人。元厚生労働省担当課長が語る
岩崎賢一 朝日新聞社 メディアデザインセンター エディター兼プランナー
虐待事件で子どもの命が失われる時、社会から注目される児童相談所――。親と暮らせない子どもは今、日本に約4万5000人います。児童福祉法では、家庭養護を提供することの重要性が強調され、厚生労働省や都道府県は里親委託率の向上を目指しています。厚生労働省の担当課長時代に里親登録し、これまで一時保護での委託などを含めると13人の子どもと生活を共にしてきた藤井康弘さん(60)に、現状と課題、そして解決の方向について聞いてみました。

藤井康弘さん
厚労省の担当課長時代に里親登録
――藤井さんは、どのような経緯で里親家庭になったのですか。
厚生労働省では、若い頃から主に医療政策にかかわってきました。ただ、子どもや障害者にかかわる仕事をしたいとずっと言ってきました。それが初めてかなったのが、里親制度を担当する家庭福祉課長でした。念願がかなったので、すぐさま専門家による検討会を立ち上げ、2年間で児童福祉法改正にまで持っていきました。ファミリーホームや里親支援機関を作ったり、施設内虐待の通報制度を作ったりしました。
――里親家庭になったのはいつからですか。
私が家庭福祉課長をしていた2007年3月に里親家庭として登録しました。妻は子育てがだいたい終わり、次に何をしようかと考えていました。当時、東京都の制度としてあったファミリーサポート制度を通じて、共働き家庭の子どもを預かったり、障害児の通学支援をしたりしていました。
私も里親制度担当の課長になり、家でよく仕事の話をしていました。虐待や里親、児童養護施設の話ですね。妻から「うちでもやってみようか」という話しになり、私も1世帯でも里親家庭が増えればという思いや、自分の足元に福祉の現場を持てることはこのうえないと思って登録しました。
――大変というイメージはありませんでしたか。
正直、私は課長として多くの里親さんたちのお話も伺っていたので、なかなか大変だと思っていたし、妻にも説明をしていました。また、私は課長として里親支援機関を作ろうとしていました。現在もなお大きな課題ですが、里親家庭に対する支援体制がないに等しいという見方を強く持っています。児童相談所のキャパシティーが圧倒的に不足しているこことは、担当課長として分かっていました。
実際、里親家庭を始めて最初に受託した子どもは、4カ月で「不調」として児童養護施設に帰ることになってしまいました。今振り返ってみても、明らかに経験不足でしたし、十分なことができなかった。なにより子どもに申し訳なかったと思います。
我が家もその後立ち直り、長期や短期合わせて12人を迎え入れてきましたが、最初の受託は、私たち夫婦にとって人生最大とも言うべき痛恨の経験でした。
▼関連記事【GLOBE+】親と暮らせない子ども約4万5000人 映画『朝が来る』から考える、私たちにできること(https://globe.asahi.com/article/13863908)

kazoka/Shutterstock.com