マクロン大統領がイスラムを刺激する発言を続けるフランスならではの理由
表現の自由、政教分離の原則、カリカチュア……。日本人にわかりにくい背景を探る
金塚彩乃 弁護士・フランス共和国弁護士
論点として加わる「ライシテ」
ここにさらに論点として加わるのは「ライシテ」、すなわちフランス的世俗主義、あるいは政教分離の原則である。
「教会の長女」を自認するほどのカトリックの国であったフランスだが、革命以降はいかに社会や政治を宗教から解放するかがなにより重要になった。その努力が結実したのが、1905年の政教分離法である。それ以降、フランスではすべての宗教の存在を認めつつ、どの宗教も援助しないという原則が徹底されることになった。
フランスの標語は「自由・平等・博愛」だが、こうした世俗主義もフランスを支える大きな原則であり、憲法1条に「フランス共和国は世俗的国家である」とも明確に謳われている。
この「ライシテ」と表現の自由が結びつくところに、今回の問題はある。
カリカチュアを含む表現の自由のもと、あらゆる権力や権威に対する批判は権利として認められる。表現の自由が宗教的権威からの知の自由の模索であったことを勘案すると、その批判の矛先は今もあらゆる宗教に向けられる。キリスト教やユダヤ教が批判されるのと同程度にイスラム教、とりわけイスラム過激主義もまた批判される。
シャルリー・エブドはムハンマドの風刺画で日本でも知られるものとなったが、実際にはキリスト教やユダヤ教あるいは極右政治家に対する批判はもっと多く強烈である。あらゆる宗教への批判が自由なフランスは、ライシテの名のもとにあらゆる宗教を受け入れる国でもある。それゆえ、イスラム教だけが批判を受けないよう、国が特別な保護を与えることはできない。それはライシテの原則に反すると説明される。

2020年9月2日に発売された「シャルリー・エブド」の1面(上)。2面(左下)では表現の自由をめぐる世論調査結果を載せている=疋田多揚撮影
宗教批判とヘイトとの関係
難しいのが、カリカチュアのような過激な宗教批判はヘイトの表現にならないのか、という点だ。
・・・
ログインして読む
(残り:約4773文字/本文:約8071文字)