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大爆発後のレバノンは新たな感染拡大と政治危機に

[8]難民・外国人労働者の悲惨な状況、反政府デモで辞任した首相が再登板

川上泰徳 中東ジャーナリスト

 レバノンは半世紀にわたって常に危機に直面してきた国である。南のイスラエル、東のシリアに挟まれ、1960年代、70年代は中東紛争の最前線の一つだった。75年~90年は自国の内戦で荒廃した。2011年には隣国のシリア内戦で150万人の難民が流入してきた。2019年10月は、市民の大規模デモで首相が退陣するなど政治の混乱が続く中で、新型コロナウイルスの蔓延が始まり、新たな危機を抱え込んでいる。

 世界保健機関(WHO)によると、10月29日時点で新型コロナの確認陽性者は7万5845人、死者は602人。2月21日にイランから帰国したシーア派市民が初めての感染者だった。3月15日、確認陽性者が99人になったところで政府はベイルート国際空港の閉鎖を発表した。3月下旬には夜間の外出禁止令を布告し、それが延長され、4月には全国のロックダウン(都市封鎖)を敷いて、5月中旬まで続いた。

レバノンの新型コロナウイルス感染状況(2020年10月29日時点) 出典:世界保健機関レバノンの新型コロナウイルス感染状況(2020年10月29日時点) 出典:世界保健機関

 典型的なロックダウン政策によって、5月31日の陽性者は1191人、死者26人と感染拡大は鈍化し、7月1日には3カ月半ぶりにベイルート国際空港も再開した。しかし、ロックダウンの解除とともに感染者が増加し、7月10日に陽性者は2011人、7月31日には4334人となった。そのため政府は7月30日から2週間の部分的ロックダウンを行うと宣言した。

 それから5日後の8月4日、ベイルート港の倉庫で大規模な爆発が起き、200人以上が死亡し、30万人が家を失うという大惨事となった。その間4カ月弱で、陽性者は5000人台から7万5000人と15倍になり、死者数も65人から600人と9倍に増えた。

深刻な貧富の格差

 レバノンの現状を理解するためには、2019年10月に始まった市民のデモの背景を押さえておく必要がある。

 デモは、経済低迷による外貨不足で公的債務残高が国内総生産(GDP)の約170%という財政危機の中で起きた。政府はガソリンやたばこに対する増税とともに、さらに「ワッツアップ」と呼ばれるスマートフォンの通信アプリの利用に課税することを明らかにした。若者たちはこれに反発して、通りに繰り出した。

レバノンのベイルートでおこなわれた反政府デモ=2019年10月  P.jowdy/Shutterstock.comレバノンのベイルートでおこなわれた反政府デモ=2019年10月 P.jowdy/Shutterstock.com

 デモは政治の失敗や腐敗を批判する抗議運動として宗教・宗派を超えて広がり、ハリリ首相は10月末に辞任した。現地紙「アンナハール」によると、若者たちの反発の背景には貧困の広がりがある。人口の30%近い150万人が1日4ドル(約430円)で生活する貧困層で、うち30万人は1日2ドル半で生活する極貧層だという。

 一方で貧富の格差も深刻だ。

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