後ろ暗く隠微な世界から脱却し、ポストコロナを牽引する明快な選択肢を有権者に示せ
2020年11月11日
「政局」という言葉の意味、みなさんはわかりますか? 自分には謎だった。
この言葉に初めて出会ったのは、平成元(1989)年の春。政治部に異動した初日だ。昭和最後の大政治スキャンダルとなったリクルート事件を巡り、竹下登政権が国会で社会党など野党の徹底追及を受けて立ち往生。内閣支持率は政権存続の“危険水域”とされる30%を大きく割り込んでいた。そんな最中である。
先輩記者たちが明らかにピリピリした顔と声で、「今は政局なのだ」「政局をよく見ておけ」などと言う。政局? こっそり広辞苑をひいたが、「政治の局面」「政界のなりゆき」とあるだけで、まったく要領を得ない。
仕方なく「なりゆき」を見守っていたら半月後、他紙に竹下首相が「きょう退陣表明」すると先を越され、「大政局で抜かれるとは」と先輩ともどもびっくりするほど怒られた。希望もせず、準備もなしに政治部に来た自分が悪いのだが、どうやら「政局」とは「なりゆき」ではすまされない、政治記者の沽券(こけん)にかかわる一大事らしいとは知れた。
ところが、その後観察していると、与野党が政権をかけて真正面から競う政治の一大イベントである衆院選そのものは、政局とは言わないことがわかった。選挙結果が出て、すわ首相交代かといった状況になると、政治家も政治記者たちもいきなり「政局だ」と騒ぎ出すのだ。これがまた謎であった。
今回、あらためて幾つか辞書をひいてみた。小学館のデジタル大辞泉の説明が詳しく、自分の取材実感にも近いが、表現はなんとも辛口だ。
ーー「首相の進退、衆議院の解散など、重大局面につながる政権闘争」で「多く、国会などでの論戦によらず、派閥や人脈を通じた多数派工作として行われる」
とある。
どこか後ろ暗く隠微な響きを政局という言葉に感じてきたのは、そのためだったか……。
だが、今になっても正直、よくは分からない。例えば、今は政局か、あるいは政局でいいのか。
思えば、この数カ月間、政界は「政局」ばかりだった。
政府のコロナ禍対応への不満が鬱積し、安倍晋三政権の内閣支持率は低迷したが、それでも政党支持率では、野党に対して自民党の比較優位が一向に揺るがなかった。ポスト安倍を巡り、政権批判の急先鋒だった石破茂氏と二階俊博幹事長との、時ならぬ「急接近」が取り沙汰されたものの、結果的にそれも自民党という「コップの中の争い」にとどまった。安倍首相が衆院解散に踏み切れるか否か。断行するならいつか。そんな「政局話」がしきりに横行した。
一方で、実利や実害が十分に意識化されないと、「政権闘争」が本物にならないのが政局ともみえた。首相の「体調不良」が喧伝されても、おしなべて首相官邸を遠巻きにして様子を伺う風であって、ポスト安倍に向け政権構想の錬磨を急ぐ動きは現れなかった。
結局、安倍首相が突然退陣を表明し、後継を選ぶ自民党総裁選が行われたが、それもまた相変わらずの「政局」だった。
コロナ禍対応の行き詰まりをはじめ、なにより官房長官はその政権に「共同責任」があったはずなのに、それら政策論や筋論は棚上げにされたまま、あっという間に菅義偉官房長官支持へと、主要派閥は雪崩を打った。対立候補だった石破、岸田文雄両氏の政権構想との間で比較吟味があったとは到底思えず、つまりは「派閥や人脈を通じた多数派工作」以外の何ものでもなかったのである。
もっとも、自公政権に対抗すべき野党も、「政局どまり」という点では同じである。立憲民主党と国民民主党の合流がまさにそうだった。
衆院選で政策論争に打ち勝つのが主目的ならば、憲法や原発など基本政策の統一と、ポストコロナの時代に見合う新たな政策の提起を優先すべきだった。だが現実には、まとまれば勝てるとばかりの「多数派工作」が先行し、新党名に「立憲」を入れるか否かといったメンツ争いに終始した。消費減税の不一致を理由に合流を拒んだ国民民主党の玉木雄一郎代表らは、少数派に沈んだ。
党名も顔ぶれも変わらないのなら、かつての「民主党」とは違う新味のある政権公約や確かな政権担当能力を見せつけるほかないはずである。それなのに、「政策提起型」の政党を目指すとした玉木氏の訴えをいかに解消したか、それさえ枝野幸男代表ら現在の立憲民主党からは明確に伝わって来ない。
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