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「政局」はもういいかもしれない~政治にも必要なニューノーマル

後ろ暗く隠微な世界から脱却し、ポストコロナを牽引する明快な選択肢を有権者に示せ

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

「政局」ばかりだった政界

 思えば、この数カ月間、政界は「政局」ばかりだった。

 政府のコロナ禍対応への不満が鬱積し、安倍晋三政権の内閣支持率は低迷したが、それでも政党支持率では、野党に対して自民党の比較優位が一向に揺るがなかった。ポスト安倍を巡り、政権批判の急先鋒だった石破茂氏と二階俊博幹事長との、時ならぬ「急接近」が取り沙汰されたものの、結果的にそれも自民党という「コップの中の争い」にとどまった。安倍首相が衆院解散に踏み切れるか否か。断行するならいつか。そんな「政局話」がしきりに横行した。

 一方で、実利や実害が十分に意識化されないと、「政権闘争」が本物にならないのが政局ともみえた。首相の「体調不良」が喧伝されても、おしなべて首相官邸を遠巻きにして様子を伺う風であって、ポスト安倍に向け政権構想の錬磨を急ぐ動きは現れなかった。

 結局、安倍首相が突然退陣を表明し、後継を選ぶ自民党総裁選が行われたが、それもまた相変わらずの「政局」だった。

 コロナ禍対応の行き詰まりをはじめ、なにより官房長官はその政権に「共同責任」があったはずなのに、それら政策論や筋論は棚上げにされたまま、あっという間に菅義偉官房長官支持へと、主要派閥は雪崩を打った。対立候補だった石破、岸田文雄両氏の政権構想との間で比較吟味があったとは到底思えず、つまりは「派閥や人脈を通じた多数派工作」以外の何ものでもなかったのである。

野党の合流新党も「政局どまり」

拡大結党大会を終え、記者会見する立憲民主党の枝野幸男代表=2020年9月15日、東京都港区、長島一浩撮影

 もっとも、自公政権に対抗すべき野党も、「政局どまり」という点では同じである。立憲民主党と国民民主党の合流がまさにそうだった。

 衆院選で政策論争に打ち勝つのが主目的ならば、憲法や原発など基本政策の統一と、ポストコロナの時代に見合う新たな政策の提起を優先すべきだった。だが現実には、まとまれば勝てるとばかりの「多数派工作」が先行し、新党名に「立憲」を入れるか否かといったメンツ争いに終始した。消費減税の不一致を理由に合流を拒んだ国民民主党の玉木雄一郎代表らは、少数派に沈んだ。

 党名も顔ぶれも変わらないのなら、かつての「民主党」とは違う新味のある政権公約や確かな政権担当能力を見せつけるほかないはずである。それなのに、「政策提起型」の政党を目指すとした玉木氏の訴えをいかに解消したか、それさえ枝野幸男代表ら現在の立憲民主党からは明確に伝わって来ない。

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筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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