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「多様性」時代におけるトランプ現象

「分断」の底で進行する人種関係の地殻変動

南川文里 立命館大学国際関係学部教授

問題は「分断」だけなのか?

 2020年のアメリカ合衆国大統領選挙は「分断」がキーワードとなった選挙だった。

 2人の大統領候補が互いを中傷し合い、支持者は別々のケーブルテレビ局のニュースを見て、SNSのフィルターバブルのなかで別の世界を生きている。1つの政策を、一方の政党支持者の9割が支持し、もう一方の政党支持者の9割が反対する。多くのメディアで、大統領選挙は2つの異なった世界観が真っ向から対立した図式として語られる。

ホワイトハウス周辺で「トランプは終わった」などと書かれたプラカードを掲げ、バイデン氏の勝利を祝う人たち=2020年11月7日、ワシントン、ランハム裕子撮影ホワイトハウス周辺で「トランプは終わった」などと書かれたプラカードを掲げ、バイデン氏の勝利を祝う人たち=2020年11月7日、ワシントン、ランハム裕子撮影

 人種は、「分断」を導く典型的な争点とされる。ドナルド・トランプの支持者には白人が多く、一方の黒人やヒスパニックなどのマイノリティの多数はジョー・バイデンを支持している。この構図は、メディアで繰り返し報じられ、大統領選挙はさながら「人種戦争」の容貌を帯びているかのように描かれる。このような構図で見れば、2009年にバラク・オバマが初の黒人大統領として就任した8年後に、人種差別的な発言で物議を醸してきたトランプが大統領になるというアメリカ政治の「振れ幅」の大きさは、2つの「分断」した勢力のあいだの権力の往来のように映る。

 しかし、「分断」や「振れ幅」に目を奪われてしまうと、21世紀のアメリカ社会のなかで進行してきた人種をめぐる問題設定の変化を見過ごしてしまう。2016年大統領選挙以降、トランプを支持する人びとの心情や論理に焦点を当てた報告は急増した。ただ、それだけでは、トランプ大統領の誕生を実現させた「トランプでもよい」とする風潮、すなわちトランプを熱烈に支持しないものの、その差別的な言動を静観しながら彼に投票した人びとの動向はなかなか見えてこない。このような人びともまた、トランプの登場によって突然現れたわけではなく、21世紀の人種関係をめぐる長期的変化のなかに位置づける必要がある。

 2016年から20年大統領選挙に至るトランプ現象を可能にした地殻変動とは何だったのだろうか。その鍵は、オバマ政権を象徴する語であり、そしてトランプ政権が体現するアメリカの正反対にあると考えられる語——「多様性(diversity)」にある。

トランプ大統領の就任式に到着したバイデン氏と握手を交わすトランプ氏。中央はオバマ氏=2017年1月20日、ワシントン、Alex Gakos / Shutterstock.comトランプ大統領の就任式に到着したバイデン氏と握手を交わすトランプ氏。中央はオバマ氏=2017年1月20日、ワシントン、Alex Gakos / Shutterstock.com

「多様性」——21世紀アメリカのキーワード

 「多様性」は、しばしば、アメリカ合衆国を象徴する言葉として取り上げられる。アメリカは、世界各地から移民を受け入れ、異なった人種集団が共存し、さまざまな生き方を許容する社会とされる。センサス(国勢調査)局統計によれば、2019年の人種別人口構成は、白人が60.1%、ヒスパニックが18.5%、黒人が13.4%を占めている。さらに移民人口の増加などにより、白人人口は2045年には過半数を下回ると予測されている。

 また、「多様性」は、新しいアメリカ社会の望ましいあり方を象徴する規範としての意味を帯びている。2018年のピュー・リサーチセンターの世論調査によれば、回答者の57%が、多様な人種的・民族的背景を持つ人びとで構成されることが、アメリカにとって「たいへんよいこと」と回答し、これに「ある程度よいこと」と回答した人を加えれば、全体の77%にのぼる。その比率は人種別に見ても大きな変化は見られない(白人の75%、黒人の75%、ヒスパニックの80%)。トランプ政権下の共和党支持者のあいだでも、65%が「たいへん/ある程度よいこと」と考えている(注1)

 さらに、「多様性」は、教育やビジネスにおいても重要な概念となっている。多様な学生が学ぶ教室や多様な従業員で構成される職場は、革新的で卓越した能力の獲得や組織のパフォーマンスの改善に大きく貢献すると考えられている。先述したピュー・リサーチセンターの世論調査でも、75%が「企業や組織が職場における人種的・民族的多様性を促進することは重要だ」と回答している。実際、多くの企業や教育機関は、20世紀末頃から「多様性マネジメント」の考えを積極的に導入してきた。これは、人種マイノリティや女性などを含む組織やチームが、多様な経験や視点を活用して優れたパフォーマンスを発揮するよう管理する経営手法である。現代アメリカ社会にとって「多様性」は、異なった背景を持つ人びとが共存する現実を表現する言葉であると同時に、革新性や創造性の根源であり、そして、社会として実現すべき目標・規範と考えられている。

アメリカ人種関係史のなかの「多様性」

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア記念碑=ワシントン、Life Atlas Photography/ Shutterstock.comマーティン・ルーサー・キング・ジュニア記念碑=ワシントン、Life Atlas Photography/ Shutterstock.com
 「多様性」という言葉が、アメリカの人種関係の鍵概念として登場した出来事として、1978年連邦最高裁のバッキ対カリフォルニア大学理事会判決が挙げられる。この裁判で問われたのは、人種差別を禁止した1964年公民権法にもとづいて実施された積極的措置(アファーマティヴ・アクション)の正当性であった。

 当初、積極的措置は、奴隷制から人種隔離制度にいたる歴史のなかで蓄積した不平等へと介入するための政策として導入された。たとえば、1971年のグリッグス対デューク・パワー社判決は、一見中立に見えても人種間の格差を固定するように作用する構造的差別の存在を認め、その救済措置として、応募者や従業員の人種を考慮した雇用・昇進機会を用意する積極的措置を擁護した。しかし、バッキ判決は、黒人やマイノリティを対象とした特別入試制度が「違憲な逆差別」であるかを議論し、「構造的差別から救済するため」という理由にもとづく積極的措置を否定した。

 その半面、バッキ判決は、積極的措置を別の理由から擁護した。その理由こそが「多様性の実現」であった。判決は、「多様な学生を獲得するという目標」のもとであれば、人種を入学判定の際に考慮することは可能であると結論づけた。積極的措置は、「多様性」を実現するための施策として、新しい役割を与えられたのである。

 このようなバッキ判決の判断は、21世紀のアメリカにも引き継がれている。2003年のグラッター対ボリンジャー判決、2013年、2016年のフィッシャー対テキサス大学判決でも、「多様性の実現」という目的のためであれば、人種を考慮した入学試験はさまざまな制限を伴いつつも認められると判断された。反対派から「逆差別」「優遇措置」などと批判され続ける積極的措置の取り組みは、「多様性」という規範に支えられることで、かろうじて継続している(注2)

オバマ時代のポスト人種論と「多様性」

 2009年に初の黒人大統領になったバラク・オバマは、「多様性」の時代を象徴する指導者といえるだろう。

 オバマは、「多様性」をアメリカの正しさ、強さの根源であると訴えた。たとえば、2013年1月の第二期就任演説では、「すべての人びとは平等に作られている」という独立宣言の一節が、1848年に女性の権利を訴えたセネカフォールズ会議、1960年代の黒人投票権獲得闘争の舞台となったアラバマ州セルマ、性的マイノリティの権利闘争の契機となった1969年のストーンウォール事件に至る権利の拡張を「導く星」で

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