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米大統領選で顕在化した「切り取られた」民主主義。修復は可能なのか?

機能不全に陥った民主主義・選挙。市民の権利を担保するため司法の機能強化も有効か

倉持麟太郎 弁護士(弁護士法人Next代表)

「古い」ものとされたリベラリズム

 今やアメリカでも、「自分は保守だ」と認める人の割合が、リベラルを自認する人の倍にのぼると言われている。いわゆるリベラリズムは「古い」ものとされ、リバタリアンからはクラシックリベラリズムと区別される。リベラリズムが真の意味で自由の尊重と寛容を求める利他主義的なリベラルではなく、冷たいエリート目線の個人主義に堕してしまったことへの、社会の率直な反応なのだろう。

 リベラルな価値観が内包する奢(おご)りとそれによるリベラルの衰退が、人々の怒りや疎外感の受け皿としてのポピュリズムや偏狭なナショナリズムを増長させた。そしてポピュリズムが、「私“だけ”」が国民を代表しているという多元主義を否定する「極端な」姿勢をとることで、対話を不可能にしている。

 左右の統合を掲げたオバマは、左右の対立が先鋭化するなかで理想を断念したが、オバマ時代よりも左右の確執が剥き出しになった現在、対立の統合はますます容易ではない。

拡大MvanCaspel/shutterstock.com

「実践知」「会話」を重んじたオークショット

 保守主義の立場をとるイギリスの政治哲学者のマイケル・オークショットは、個人主義的な理性を強調し、精神を伝統や慣習から独立させようとする姿勢を「合理主義者」として批判するとともに、物事には完全かつ画一的な「正解」があるという前提を、政治の場で実践しようとする企てに警鐘を鳴らした。

 彼は、慣習や伝統の蓄積による実践を「実践知」と位置づけ、「合理主義者」と対置する。「自由」や「民主主義」という理念は、最初からそこにあったわけではなく、歴史的経験と実践が抽象化された「自由の帰結」である。それゆえ、「帰結」だけを取り出して採用してもうまくいかないというのだ。

 日本もアメリカも、「自由」な「民主主義国家」といわれる。しかし、この「自由の帰結」のみをいくら叫んでも、真に「自由」で「民主主義」なのかは疑わしい。対立よりも対話、批判よりもオルタナティブの提案という、当事者が相互にかかわり合うダイナミズムを通じてこそ民主的なプロセスは醸成される。多数決で負けた人々や傷ついた少数者に、“セラピー”的な同情と共感のフレーズをかけるだけでなく、具体的制度やルール(法)によって、より多くの人の自由を確保・実現してこそ、自由な社会を獲得できるはずだ。

 とすれば、結局のところ、冒頭で触れた民主主義が切り取られている現状は、具体的な実践の欠如、ないしは放棄からくるものではないか。

 オークショットはまた、社会や個人と向き合うビジョンとして、「会話」という概念を掲げる。

 「会話」は何のためにするのだろうか。相手を変えるためだろうか。そうではない。会話の要諦は、一つの大きな声で結論を出すことではなく、様々な言葉や声色という異質性を互いに尊重しあい、同化や純化を迫らない点にある。会話は、会話すること自体が、目的なのだ。

 オークショットが唱えるこうした「会話」のビジョンからすれば、大統領選における候補者討論会の罵り合いは、まったくもって「会話」になっていない。だが実は、あの討論会の光景は、そのままアメリカの社会構造といってもよい。異質性を尊重せず、同化や純化を迫るという意味で……。

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筆者

倉持麟太郎

倉持麟太郎(くらもち・りんたろう) 弁護士(弁護士法人Next代表)

1983年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了。2012年弁護士登録(第二東京弁護士会)。日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事、弁護士法人Next代表弁護士。ベンチャー支援、一般企業法務、「働き方」などについて専門的に取り扱う一方で、TOKYO MXテレビ「モーニングCROSS」レギュラーコメンテーター、衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考人として意見陳述、World Forum for Democracyにスピーカー参加、米国務省International Visitor Leadership Programに招聘、朝日新聞『論座』レギュラー執筆者、慶應義塾大学法科大学院非常勤講師(憲法)など多方面で活動。共著に『2015年安保 国会の内と外で』(岩波書店)、『時代の正体 Vol.2』(現代思潮新社)、『ゴー宣〈憲法〉道場』(毎日新聞出版)、著書に『リベラルの敵はリベラルにあり』(ちくま新書)がある。

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