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戦後最悪の日韓対立のさなかに、日韓双方でエッセイ集を出す重圧

ポジティブな境界線に立つ ―『日韓関係論草稿』の出版に際して

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

中国の朝鮮族の日本留学生との会話

 私のクラスに中国の朝鮮族出身の留学生がいた。何年前のことだったか、今では卒業した教え子である。私が韓国人の教員ということを知って、私の研究室に突然やってきた。「先生、私は事実上、中国人でも、韓国(朝鮮半島)人でも、日本人でもなく、曖昧な存在であり、言葉も中国語、韓国語(朝鮮族語)、日本語のどれが自分の本来の言語なのかもわかりません」。私はにっこり笑って、即座に訂正した。「いや、そうではないよ。あなたは中国人でも、韓国(朝鮮半島)人でも、日本人でもあるんだ。すごいよ。言語だって、中国語、韓(朝鮮)半島語、日本語が全部流暢じゃないか。そのうえ英語も学び、他の外国語としてスペイン語まで学んでいるのだから、もはやアジア人ではなくて完全に世界人だね。これから君のような中国の朝鮮族のエリートは、アジアのために大きな役割を果たすことができるよ。きっと」。彼はにっこり笑って、私の部屋を出ていった。それは教育的配慮で述べた激励の言葉というだけではなかった。私自身が同じ立場にあるから、アジアのことを考えたり、勉強したりするとき、できるかぎり徹底的に境界線的思考、つまり周辺とのコンタクトを肯定することにアイデンティティをおいて、過去の歴史と現在、未来をみてみようと思っていることからでてきた言葉なのだ。(同書pp.4-5)

 近現代史のなかで、中国朝鮮族の存在はいつも周縁におかれたマイノリティであった。しかし、筆者の思考転換は、彼らだからこそ持ち得る肯定的なアイデンティティを引き出そうとするものである。

シンフォニー・オーケストラのような

 オーケストラは繊細なストリングス、重厚な管楽器、そしてキレのある打楽器が互いに交わって成り立っている。コンダクターが、あるいは聴衆が、そんなオーケストラの一部の楽器群の真ん中に入ってゆけば、シンフォニーの全体音律からはむしろ離れてしまうだろう。壮大なシンフォニーの調和のとれた旋律を感じ取るためには、オーケストラの境界線、先端位置に身を置く必要がある。そうしてはじめて、ストリングスや管楽器のそれぞれの演奏を聞くことができ、さらに後ろ側にいるシンバルの壮大な局面転換さえ正しく手中に収めることが可能なのである。偏った楽器の中では偏った音に支配されてしまう。私は、コンダクターにせよ聴衆にせよ、調和のとれた美しいシンフォニーを正しく聞くために、一度オーケストラの境界地域に退くこと、つまりコンタクト・ゾーンというかはたまた第3の位置までというか、ともかくいったん後退するという考え方をよくする。(同書p.5)

存在は韓国、実存は日本

 エッセイ集の執筆と出版の目的については次のように要約した。

 日韓、南北、白黒、保革、さらに文明、階級、人種的、経済的な違いは、特に宗教などの尖鋭的なテーマにおいて、アイデンティティの葛藤と対決の構図がいまなお続き、むしろ強化されてもいる。ともすれば私自身も、時にはどちらかの側に立って主張し、偏りを自覚することなく対立のための陣地を構築することがある。歴史の進歩という観点から、人類は成熟の度を増し、そのような対立も克服できると思っていたが、事実はむしろ後退しているように感じられる。私の考えに反して、葛藤と対決はますます強化されている状況なのだ。
私は今、韓国と日本の境界に住んでいる。もとの存在は韓国であり、実存は日本だ。母語は韓国語で、生活と活動の言語は日本語である。韓国に家族、友人、弟子、知人等が出国当時のままいて、日本にも家族、友人、弟子などがたくさんいる。韓国も心配であり、日本も心配だ。あなたは韓国の側か、日本の側かという質問をよく受けるし、それを自問することもある。……再度強調するが、私はコンタクト・ゾーンを好む。コンタクト可能な最端を好む。日韓両方の側でありたいと思うことは、できもしないことかもしれないし、それを願うことは欲深いことかもしれない。しかし私は、境界線に立って、ここはこちらなのかあちらなのかとか、一体自分はどちらに足を踏み入れるべきなのかを迷うよりは、両方ともという大きな目標を目指したいのだ。もちろん、越えるべき山、渡るべき川はたくさんあるのだろうが、日韓について、南北について、より広くは世界においても、目指しつづけねばならないテーゼであると信じている。私には「ポジティブ・コンタクト・ゾーン」への思いがつよい。……それは肯定的に眺め、接する姿勢である。時に争いがあり、時に混乱があっても、どうしても肯定的な視線をもって日韓を越え、アジアや世界へとつなげてゆきたいという願いを私は禁じ得ない。(同書pp.6-7)

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筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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