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トランプ大統領は速やかに政権移行へ協力をーそれが「2024」への道にも

現在の戦術は米国の威信を傷つけ、安全保障も損なう恐れ

登 誠一郎 元内閣外政審議室長

 米国大統領選挙の投票日から既に3週間以上が経過したが、明らかに選挙に敗れたトランプ大統領は、敗北を認めず、無為と思われる法廷闘争を続けて抵抗している。

 その思惑は、第一に、200年近くにわたって基本的に変わっていない大統領選挙制度の法的盲点を突いて、有権者の判断よりも各州の判断を重視した決定に持ち込んで選挙結果を逆転させるか、もしくは選挙人投票でバイデンが過半数を取ることを阻止せんと意図していることである。

 第二に、もしこれが成功しない場合には、前回までのすべての大統領選挙の当選者を上回る7380万票を得たことを背景に、熱狂的なトランプ支持者の熱気(トランピズム)をつなぎとめて、2024年の大統領選挙に自分自身、またはそれに代わるトランピズムの後継者が勝利するために、「自分は選挙で負けたのではなく、選挙の不正に負けた」との構図を維持することである。最後まで敗北宣言を行うことなく、1月20日になってようやく、しぶしぶホワイトハウスから撤退することとなろう。

 ついては、まずトランプ陣営の狙う法廷闘争の行方を精査し、さらに今回の一連のトランプの姿勢がもたらす、民主主義社会のリーダーとしての米国の威信の低下、さらには政権移譲のための種々の準備手続きが行われないことによる政治空白が、米国並びに同盟国の安全保障に及ぼす影響について考えてみたい。

拡大「米国を再び偉大に」というトランプ大統領のスローガンが書かれた陶器の帽子がホワイトハウス前で割られていた=2020年11月3日、ワシントン

州議会が大統領選挙の結果と異なる選挙人を決定することは可能か

 1887年に制定された「大統領選挙人確定法」(Electoral Count Act)を編入した合衆国法典第3部第5章によると、各州は、選挙人による投票日の6日前(今回の場合は12月8日)までに選挙人を確定することとなっている。

 さらに同条項は、「大統領選挙の投票に関する法的その他の論争について、州が最終的な決定を行った場合には、それを選挙人選出の最終確定とみなす」(筆者要約)との趣旨を規定している。いわゆるセーフ・ハーバー条項であり、選挙の結果についての論争があった場合の選挙人の確定方法を明示した唯一の規定と考えられる。

 これは法の制定当時、州の権限強化に慎重な民主党が支配する下院と、共和党が支配する上院との妥協の産物であり、米国の専門家の解説を読んでも、「この条項はあいまいで、殆ど理解困難」とされる。またこの条項がこれまでの大統領選挙で実際に適用されたケースはない。

 しかるに今回の法廷闘争を指揮する元ニューヨーク市長のジュリアーニ弁護士は、この条項を、「法廷闘争が継続している場合には、大統領選挙において選ばれた選挙人をそのまま有効な選挙結果として認めるのではなく、それとは別個に、州議会が大統領選挙人を決めることが可能である」と解釈している。

 しかし選挙という民意の表れを全く無視して、州議会が独自に選挙人を決めることを許容するというのは、余りにも拡大解釈ではないか。筆者は、この条項中の「州による最終決定」とは、「一般投票の結果を尊重した上での最終決定」と解釈すべきものと考える。

 もしトランプ陣営が固執すれば、この条項の解釈については、州の最高裁、さらに最終的には連邦最高裁までもつれ込む恐れも排除できないが、いくら連邦最高裁の構成が保守派に有利とはいえ、米国の民主主義の根幹を覆すような判決が出ることは想像できない。

 従ってトランプとして現実的に可能なこととして追求しているのは、法廷闘争によって選挙結果を逆転することではなく、そのプロセスを長引かせることによって、いくつかの州で12月8日の選挙人確定をさせないようにすることに主眼があると思われる。

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筆者

登 誠一郎

登 誠一郎(のぼる・せいいちろう) 元内閣外政審議室長

兵庫県出身。東京大学法学部卒業後、外務省入省(1965)、駐米公使(1990)、ロサンジェルス総領事(1994)、外務省中近東アフリカ局長(1996)、内閣外政審議室長(1998)、ジュネーブ軍縮大使(2000)、OECD大使(2002)を歴任後、2005年に退官。以後、インバウンド分野にて活動。日本政府観光局理事を経て、現在、日本コングレス・コンベンション・ビューロー副会長、安保政策研究会理事。外交問題および観光分野に関して、朝日新聞「私の視点」、毎日新聞「発言」その他複数のメディアに掲載された論評多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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