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【6】縦書きへのこだわりを捨てよ

国民全体に広がる「無意識」に敏感になれ

塩原俊彦 高知大学准教授

 その昔、朝日新聞の入社試験の作文のタイトルが「こだわり」であったことがある。こだわりとは「拘泥」であり、「難癖をつけること」を本来意味している。したがって、もともとあまりポジティブではないが、近年はいい意味での執着を表す言葉のように思える。ここでは、日本人は「縦書き文化にこだわりすぎていないか」という問題を論じたい。この結果、「デジタル文化」への対応が遅れ、それが日本のデジタル化そのものの足かせになっているような気がするからである。

横書きか縦書きか

大学受験生だった筆者の投稿が掲載された紙面=1976年3月3日付朝日新聞
 筆者はもう40年以上前、朝日新聞の「声」の欄に投稿し、その内容が「天声人語」に取り上げられたという稀有の経験をしたことがある。それは、早稲田大学政治経済学部の入試で、古文や漢文を横書きで出題した大学側を厳しく断罪したものであった。

 公的とも言える入試で、返り点やレ点の打ち方に違和感を覚えさせるような漢文の横書きでの出題にどんな意図があったのかは不明だが、試験を受けていてきわめて不快であった。ゆえに、投書をしたのだ。筆者の場合、東京教育大学付属駒場(現筑波大学付属駒場)高校の入試にも漢文が出たという経験があったので、因縁めいたものも感じていた。もちろん、後者は縦書きで出題され、問題なく解答できた。

 この投書に対する「天声人語」を読んで、アラビア語が英語のように左から右に横書きなのではなく、右から左に書かれていることをはじめて知った。ちなみに、モンゴル文字は縦書きで右へ行移りするかたちで使われてきた。

筆者の投稿を受けて書かれた天声人語=1976年3月9日付

 こうして文字が縦書きか、横書きか、右から書くのか、あるいは左から書くのかといった問題が筆者にとって生涯の関心事になったのである。

権力闘争としての「縦横問題」

 新聞記者時代、朝日新聞のAERA編集部に3年間ほど在籍したとき、大学の各学部内部で出版されている「紀要」と呼ばれる学術誌において、縦書きか横書きかの権力闘争が起きているという記事を書いたような気がしている(はっきり覚えていないので、提案だけしてボツになったかもしれない)。早稲田大学政治経済学部のようなところでは、法学や政治学の学者は従来の縦書きを主張する一方、経済学の学者は横書きを主張し対立しているというような話を紹介したのではないか。

 もちろん、理工系学部の紀要では、英語などの外国語や数式がさかんに使用されるので横書きが当たり前になっていたから、こんな問題は生じない。文科系では、外国語はともかく、結構、数式を使う経済学者から横書きを求める声が増え、それが権力闘争を巻き起こす要因となっていった。

 筆者は経済学者のはしくれかもしれないせいもあって、横書きを強く主張してきた。理由は簡単で、

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