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方方『武漢日記』が語る中国の深い傷痕

世界でくり返される悲しみと傷を、最も早く、かつ最も集中的に体験した都市

鈴木将久 東京大学教授

 今日でも世界で猛威をふるっている新型コロナウイルスが最初に現れたのは中国の武漢であった。新型コロナウイルスの犠牲者ということを考えたとき、武漢に住む人が世界で最初に悲劇に見舞われたことは間違いない。

 つまり武漢の人々は、世界に先駆けて新型コロナウイルスによる悲しみを味わい、武漢の社会はいち早く新型コロナウイルスの傷を受けた。しかも充分な準備ができていない状況下で、短い時間のうちに感染者が急増し、医療崩壊によって多くの死者を出すことになった。その後世界でくり返される悲しみと傷を、最も早く、かつ最も集中的に体験したと言えるだろう。そうした武漢の悲しみと傷を表現した作品として、方方『武漢日記』(邦訳『武漢日記 封鎖下六〇日の魂の記録』飯塚容・渡辺新一訳、河出書房新社)がある。

論争から読み解く新型コロナの傷

拡大『武漢日記』の著者・方方氏=方方氏のブログより

 方方は武漢に住み、武漢の庶民の生活を描く小説で知られた作家である。彼女が都市封鎖中の武漢で感じたこと、見たことを、毎日インターネット上のブログに発表したものが、この「日記」である。この「日記」は、はじめから公開するために書かれたもので、個人の私的な記録とばかりは言えない。またそもそも方方は作家であり、この「日記」に文学者としての筆致が現れていることも事実である。したがって武漢の実情を客観的に描いたものとは言えないかもしれない。文学者らしいスタイルで、武漢に住む人間として日々感じたことを、他人に伝えようとした文章だと考えられる。

 『武漢日記』は、読者の琴線に触れ、反響を呼んだが、同時に批判も巻き起こした。方方批判は、方方が勇気を持って武漢の悲劇を書いたことに対して、中国の「愛国者」を自称する「極左」が組織的に批判を行ったものと見なされる嫌いが強い。しかし方方への批判をよく見ると、たしかにイデオロギー的批判もあるものの、すべてを「極左」の反応と言い切ることは難しい。

 むしろ方方への批判者も、方方とは違った形で新型コロナウイルスによる精神的な打撃を受けていると感じられる。つまり方方に対する熱狂的な支持と、同じくらい強烈な批判が同時に発生したところに、新型コロナウイルスによって中国社会が受けた打撃の大きさと複雑さが現れているように思えてならない。

 そのように考えると、方方と批判者のどちらか一方の立場に立って、方方弁護あるいは方方批判を述べ立てても、新型コロナウイルスの痛みを理解することはできない。この文章では、方方『武漢日記』の内容と、そこから引き起こされた論争を読み解くことによって、方方とその批判者の文章が、それぞれの立場で表現している中国社会の深い傷のありさまをスケッチしてみたい。それは、世界中において現在進行形で進んでいる新型コロナウイルスの傷がどのような構造を持っているかを理解するための助けとなるであろう。

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筆者

鈴木将久

鈴木将久(すずき・まさひさ) 東京大学教授

1967年生まれ。中国文学者。東京大学大学院人文社会系研究科教授。東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻博士課程修了。明治大学教授、一橋大学教授などを経て2018年より現職。著書に『上海モダニズム』、共編著に『竹内好セレクション』『現代中国入門』など。