社会党(社民党)よ、ご苦労さま~75年の歴史を経て消滅の危機
保守政治の暴走を防ぐために政治の一画に社会党的絶対平和主義者の存在も必要だ
田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授
終戦の年(1945年)の秋に結党した日本社会党(1996年に社民党に改称)が、75年の歴史を経ていま、消滅の危機に瀕している。
11月14日、臨時党大会を開いた社民党は、一部の議員や地方組織が立憲民主党に合流することを容認する議決案を可決。国会議員4人については、党首の福島瑞穂参院議員だけが党に残り、他の3人は立憲民主党に入党する見通しだ。

臨時党大会で、別々の方向を向く社民党の福島瑞穂党首(左)と吉田忠智幹事長=2020年11月14日午後3時27分、東京都千代田区、上田幸一撮影
記憶に残る筋金入りの社会党員の姿
振り返れば、日本の戦後政党史は「保守」と「革新」の対決を軸に展開してきた。長年にわたり「革新」の側の盟主であったのが社会党であった。
社会党には、私も数多くの思い出がある。もちろん自らはマルクス主義や社会主義に身を投じたことはなかったので、あくまで部外者としての感想ではあるが……
なかでも目に焼き付いているのは、私の地元である長野県で県議をつとめた筋金入りの社会党員の真剣な姿だ。
私が子どもだった頃、彼は県議で運動会など小中学校の行事ではいつも挨拶に立っていたが、直接知り合ったのは、私が政界に出ることが具体化されつつあった60年代末であった。その頃にはすでに80歳を過ぎており、県議は辞めて会社を経営していたが、政治への関心は失わず、とりわけエネルギー政策には重大な関心を示していた。
当時、日本では原子力発電の導入の是非について、大いに議論が交わされていた。彼は時折、自転車に乗って私の実家まで原発に関する雑誌や新聞の分厚いコピーの束を届けてくれた。そして信州弁で「これを読んでくれや」と言うと、すぐに帰っていった。
私の実家のある集落は、千曲川の支流の扇状地のようなところにあった。高齢者が自転車で来るには、かなり骨が折れる場所だ。汗をふきふき自転車をこぐうしろ姿に、深く頭を下げずにはいられなかった。
戦後長らく社会党は地方では強かったが、その中核となっていたのは労働組合員というよりも、地域に深く根ざした地方党員だったと思う。彼らは11月14日の臨時党大会でも、「社会民主主義」政党の存続を強く主張していたという。

臨時党大会で、立憲民主党との部分合流が決まり、「#社民党がいます」と書かれたプラカードを掲げる支持者たち=2020年11月14日午後5時6分、東京都千代田区、上田幸一撮影