[213]フロイド氏事件現場、バイデン氏の生家、トランプ大集会……
2020年11月27日
10月21日(水) きのうの夜、大雪のミネアポリスに到着、もうレストランが閉まりそうな時刻だったので、あせって飛び込んだレストランで貪欲に胃に入れたお肉がとてもヘビーだった。実は、このところずっと肉食を控えていた体がびっくりしたようで、けさは難儀した。トイレの大の方がなかなかやって来ないのであった。何とか物理的に解決したが。
まずはウォルター・モンデール元副大統領のインタビュー。コロナ禍とご高齢の事情で、氏が入所しているミネアポリス中心部の高齢者施設を昨晩、ミネアポリス到着後、ただちに訪ねて、氏が好物にしていた「たい焼き」を差し入れた。Kディレクターが日本で買って持参してきた。氏が駐日大使時代に好んで食べていたという。
オンラインでモンデール氏にインタビュー。彼が1984年の大統領選挙に出馬した時に、初の女性副大統領候補としてジェラルディン・フェラーロ下院議員を選んだことを中心に聞くためだ。モンデール氏は92歳とは思えぬほど記憶も明晰でお元気だった。ただ、オンライン回線がとても不安定で途中何度かフリーズを繰り返して、まいった。「たい焼きは上等だった」と言っていた。
ミネアポリスで起きたジョージ・フロイド事件およびブラック・ライブズ・マター運動、トランプ政権のコロナ対策などについても聞いた。彼はよどみなく答えていた。沖縄のことも思い切って聞いた。彼は普天間基地返還を実質的に決めた人物である。これについてはかなり多弁だった。1995年の少女暴行事件はモンデール氏の消えない記憶として今でも脳裏に残っていた。
その後、ジョージ・フロイド氏「圧殺」の事件現場へと向かう。現場の一画は全く車両が通れなくなっていて、近くで駐車して徒歩で現場へと向かうしかなかった。きのうの大雪で路上にかなり雪が残っている。
カメラマンのえなさん、Mカメラマン、Kディレクター、池原さんらと向かうが、封鎖されている辺りに入って徒歩で進んで行こうとしたら、若い黒人女性らから何やら声をかけられた。よく聞き取れなかったが、その口調から「撮影をやめろ」と言っているようだった。
カメラを下ろして、封鎖されている一画にどんどん歩いて行ったら、またそこに常駐している感じの黒人男性らから「こっちへ来い」と言われ、こちらの身分と取材の趣旨を説明する。あたりに一定の緊張感があるように思われた。現場周辺はワンブロック四方にわたって封鎖(車両通行止め)されていて、「ジョージ・フロイド・スクエア」という看板が掲げられていた。
昔風に言えば「解放区」だ。フロイドさんが組み伏せられていた現場はロープで囲われていて簡単なテントの屋根がついていて、人の形で線が描かれ「I CAN'T BREATHE」(息ができない)というプラカードやイラスト、たくさんの献花が残されていた。あれから5カ月近くたっているというのに。
そこに居合わせた人々や、地区のBLM運動のリーダー親子らに話を聞く。暴動=riotは外から入ってきた人たちが引き起こした、と。彼は、略奪、放火が繰り返されたという情報に非常にピリピリしていた。自分たちはそのような動きとは無縁だ、と。一緒に居合わせた息子さんの方は、フード付きの上着を着て歩くことの恐怖を語っていたことが印象的だった。
マーシャさんと話をしていたら「見せたいものがあるのでついて来い」という。それで僕らは彼女の後をワンブロックばかり歩いていくと、そこに驚く光景が拡がっていた。ジョージ・フロイドさんの死後も含めて、全米で警官の関与によって死亡したブラックやブラウン・アメリカンのひとりひとりを墓標のように白いプレートにして並べた敷地が視線の先に拡がっていたのだ。雪のつもった真っ白な原っぱに、忽然と何か「聖地」のように出現した光景に思わず息をのんだ。
聞けば、マーシャさんは世界中を旅行していて、日本の大阪にも行ったことがあると言って当時の写真をみせてくれた。実に魅力的なブラック・アメリカンの高校教師で、何だか感無量になってしまった。あの「聖地」のせいだろう。本当にこのジョージ・フロイド・スクエアに取材に来てよかった。
その後、ミネアポリスから空路、ニュージャージー州のニューアークへ移動。その間、月刊誌の原稿1本。「調査情報」終刊号の校正終了。16年の連載がこれですべて終わったことになる。異郷の地で勝手に感慨にふける。今日から沖縄の浦添で故・大盛伸二さんの写真展が始まったはずだ。成功しますように。
バイデンの生まれ故郷スクラントンにいるみのりさんにきのうから断続的にコンタクトし続ける。困った時にものを頼める人が本当の友人だ。みのりさんが教えている大学の学生たちに話を聞けるほか、スクラントン家とも所縁のある大学教授のインタビューもセッティングしてくれるという。ありがたいこと、この上なし。
ところで、空路、ニューアーク空港に着いたところが、笑うしかない不条理が待ち受けていたのだった。ジム・ジャームッシュの映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』みたいな出来事。
空港到着ロビーからレンタカー・オフィスに移動するためにはエアポート・トレイン(以下ATと記す)で移動するしかない。僕らは大量の手荷物を抱えながらぞろぞろとAT乗り場へと移動する。その場所がまずわかりにくい。それでようやく行きつくと、そのATがどういうわけか、不可解な動きをしていたのだった。
話をごく単純化して言えば、少なくとも3つの地点をATは運航している。A、B、C……。僕らはBにいてレンタカー・オフィスのあるCに行きたい。ところがAT係員が、次のATはCには行かないので、まずはAに移動しなさい、そこにC行きのATが来るから、と言われる。それでCとは逆向きのAに向かうATに乗り込んで降りる。ところが次に来たATは「Cには行きません、Bで乗り換えて」と係員に言われる。えっ? 全然話が違うじゃん。
それでその言葉に従い、Bに向かうATに乗り込んで仕方なくBでC行きのATを待つ。それがなかなか来ない。だんだん不安になってきた。このまま永久にAとBの往復を繰り返すのではないか。ついに来た。それで疑心暗鬼になりながらも乗り込んで、ようやくCに降り立つ。
そこから池原さんが予約していたレンタカー事務所(Alamo)に向かうと、何とすでにオフィスのドアが閉まっている。わずかの時間差で閉店時刻を過ぎていたのだ。予約時に便名を入れ、前日、そして着陸後に本部に待っていて欲しいと連絡したにもかかわらず! こういう時、アメリカのレンタカー事務所は「時間外だけれども開けますよ」みたいなことは絶対にやらない。これは僕が命をかけても保証する。えっ? やばい。これだけの荷物がある。またATに乗り込んでタクシー乗り場のあるところに向かうのか。いや、あのATだと永遠に目的地に着くことはないのではないか。大体、この時間に、タクシー乗り場にタクシーなんていないだろう。コロナ禍で航空便や乗客は激減している。だからタクシーなんかいないのだ。
まさに「ストレンジャー・ザン・パラダイス」状態にこころが萎えていた時に、えなさんが、「まだ開いているレンタカー・オフィスがあるよ。飛び込んではどうか」と提案する。もうそれしかないか。池原さんが、先頃確かコロナ倒産したはずのHertzの事務所がまだ開いているというので、速攻ダッシュで飛び込んで行った。何と奇跡的に、ミニバンが1台だけ残っていた! 僕らの荷物と5人を何とか詰め込んでも大丈夫な大きさの車があったのだ! 僕らは狂喜した。やったあ。助かったあ! まるで無人島に漂着した乗組員が、通りかかった小型漁船に助けられたような心境である。
空港そばのホテルのフロントに着いた時には夜中1時を過ぎていて、すぐに安ワインをあおって無理やり眠ろうとしたが、頭がどんどん冴えてきて逆効果になった。
大統領選挙は郵便投票の扱いにともなう混乱が今後の最大の不確定要素になりそうだ。カギは、アリゾナ州の選挙人11人、フロリダ州の29人、ペンシルベニア州の20人。あしたのペンシルベニア州での取材のために予習。NYタイムズのスクラントン有権者事情に関する記事を読む。バイデンの生まれ故郷のスクラントンでさえ、全部が全部バイデン支持ではないという記事。
10月22日(木) 早朝、ニューアークからペンシルベニア州の、まずは生家のあるスクラントンへ陸路で向かう。池原さんにはこの上なく申し訳ないけれども、役立たずの男どもはアメリカでの運転免許がない。何やってんだか。国際免許証くらいとって来いよ、と天の声が言っている。
3時間の運転でスクラントンへ。途中の風景で、紅葉があまりにも美しくて見とれた。
そこから周辺の取材。確かに歴史のある、かつては栄えていた町だということが建物などからわかる。町の中のトランプ支持の一画も散見できた。
教え子の大学生に集まってもらってインタビューした。いろんな子がいた。バックグラウンドもさまざまであることがわかる。緑色に髪を染めた子が最も元気で多弁だった。もともとバーニー・サンダース支持だったが、トランプのこれ以上の4年は耐えられないという意志を感じた。
その後、みのりさんの勤務する大学のオフィスを借りて、地元の大学教授キャロル・ルーベルさんとZoomでインタビュー。
さらにスクラントン関連の追加取材をして、今度はペンシルベニア州東部ルザーン郡のヘイズルトンへと車で1時間近くかけて移動。ここはヒスパニック系住民が急増している地域で、人口2万5000人の約7割を占めている。もともとは石炭業の町だった。4年前の大統領選挙ではトランプが僅差でヒラリーに勝利して、ペンシルベニア州全体での勝利を象徴した地域とも言われている。
僕らはこの地でヒスパニック系住民のためのスペイン語新聞を発行しているペルーからの移民一世、アミルカー・アロヨ氏(71)に取材をすることになっていた。今夜は氏がピザ・レストランで主催する民主党支持者の第3回大統領候補者テレビ討論会(2回目はルールに不満なトランプが出席を拒否したため、中止になった)のウォッチ・パーティーを取材するのだ。
ヒスパニック系の票の動向は有権者全体のなかでも「Sleeping Giant=眠れる巨人」と言われていて、浮動票が多く読みにくい。前回もそして今回もかなりの部分がトランプ支持に流れているという観測がある。アロヨさんのような移民第一世代は民主党支持者が多いが、それが第二世代になるとトランプ支持が多くなる。
会場のピザ・レストランは本当に庶民的なたたずまいの店で、TVディベートの始まる直前にどどっと人々が入ってきた。だが
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