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「立憲民主党」は「民主党」とここが違う!

憲政130年、政権交代勢力結集の「第三幕」開演

鈴木賢一 政党事務局部長代理

はじめに

 11月29日、日本に議会が開設されて130年を迎えた。

 国民が選挙によって代表者を選び、選ばれた議員が国政を担う場が議会である。今日では当たり前の議会政治だが、それ以前は武家政治が700年弱、さらにその前は王朝政治が数世紀続いた。国会を開設し国民の政治参画を確立したことは、日本政治上の一大転換事であった。

 節目の本年、日本政界では与野党で大きな動きがあった。9月16日に召集された第202回国会では、憲政史上最長の在任期間を誇った安倍晋三議員に代わって菅義偉議員が第99代内閣総理大臣に選出された。野党側では、立憲民主党、国民民主党、社会保障を立て直す国民会議、無所属フォーラムなどから150人の国会議員が結集、自民党に代わる政権政党を目指し新「立憲民主党」を結党、枝野幸男議員が代表に就任した。

拡大結党大会を終え、記者会見する立憲民主党の枝野幸男代表=2020年9月15日、東京都港区

 立憲民主党の結成について小沢一郎議員は、「戦後政治、憲政上の大きな出来事」と評した。一方、一部メディアは「帰ってきた悪夢の民主党」などと揶揄した。

 立憲民主党は、戦後政治、憲政上、どう位置づけられるのだろうか。

 本稿の結論は、立憲民主党の結党は、戦後政治における政権交代勢力結集の最終段階・第三幕を開いたと考える。第一幕は、細川政権を樹立した非自民8党派によって、第二幕は、鳩山政権を誕生させた民主党によって開かれた。

 第一幕の非自民8党派から第二幕の民主党、そして第三幕の立憲民主党へとどのような成長プロセスを辿ってきたのか。戦後政治における立憲民主党の意義を確認し、その後に戦前体制下の政党と比較検討し、なぜ立憲民主党の結党を政権交代勢力結集の第三幕と位置付けるのか検証を試みる。


筆者

鈴木賢一

鈴木賢一(すずき・けんいち) 政党事務局部長代理

世界連邦日本国会委員会の諮問会議「グローバルガバナンス推進委員会」委員。民主党政権で幹事長室・国際局の部長代理。アジア政党国際会議、日中交流協議機構など多くの議員外交支援業務に従事。米国マハリシ国際大学卒業。英国エセックス大学大学院修士修了。米国チャールズ・グラスリー連邦上院議員事務所、マーガレット・サッチャー財団駐日代表事務所、英国労働党本部でインターン。英国外務省チーブニングLSEフェロー。米国国務省IVLP参加。  国際交流業務として、民主党勤務時にスマトラ沖大地震被災地調査団、訪欧米代表団、訪中代表団、英国政権運営調査団、アジア政党国際会議、日中交流協議機構、駐日外交団交流などを担当。国民の生活が第一でドイツ脱原発視察、生活の党で訪韓代表団、民進党でアジア政党国際会議「シルクロード特別会議」、国民民主党でアジア政党国際会議「女性・若者の政治参加特別会議」等を担当。論考に「アジア政党国際会議(ICAPP)で培った政治調整力で朝鮮半島情勢の歴史的変革に挑む韓国の鄭国家安保室長」(『グローバルアジア・レビュー』第7号)等。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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