まさか自分が感染。抗原検査で陽性を示す真っ赤な線を見た瞬間、言葉を失って……
2020年12月05日
小川淳也衆議院議員がコロナ感染 国会議員で3人目――
11月17日の夕方に配信されたニュースを見て驚いた。というより、慌てた。さかのぼること6日前、私はある出版社の編集者と2人で、永田町にある衆議院会館で小川淳也氏本人にインタビューをしていたからだ。
人間は正直な生き物だと思った。その一報を聞いた時、小川氏よりも、まず自分の身体を案じた。すぐに行きつけのクリニックで抗原検査をし、翌日、別の病院でPCR検査を受けた。結果はいずれも「陰性」だった。
それにしても、小川氏がコロナ感染したことは意外だった。仕事柄、与野党の国会議員に会う機会が多いが、小川氏ほど感染対策に神経質な議員はいなかった。小川氏の過剰過ぎるほど真面目な性格も影響していると思う。平時から自ら律する自制心と気概は並々ならぬものがあったからだ。しかし、感染症のリスクは誰だって平等だ。
小川氏の感染が判明、入院したのが11月17日。その後、隔離病棟の病室での静養を続け、退院したのが11月27日。リモートワークでの仕事復帰を果たした小川氏に12月4日朝、インタビューをした。
――初めて身体の異変を感じたのはいつですか?
11月16日(月)の夜です。39度台の高熱が出ました。この日は地元、香川県高松市から飛行機で上京した後、日中は厚生労働大臣、農林水産大臣らに対し、地元香川で発生した鳥インフルエンザ対策に関しての要望等で面会などしていました。夕方、時間が空いたので衆議院会館内のスポーツジム「国会健康センター」で身体を動かしました。
違和感を覚えたのは夜。議員宿舎に戻って夕食をとってからです。最初は微熱でした。しかし、みるみるうちに体温は跳ね上がり、深夜には39度を超えました。立っているのもままならない状況でした。
万が一のことがあるので、翌朝、東京都の「発熱相談センター」に電話。当時、東京都の一日の陽性判明者は200人。陽性率は「5%」前後で推移していました。ただ感染症対策には余念がなかったので、自分がまさかコロナに感染しているとは思いませんでした。私も「95%」の陰性の中の一人だと勝手に思い込んでいました。
――まずは「発熱相談センター」の電話をしたとのことですが、陽性が判明するまでの詳細を教えてください。
まずは行きつけのクリニックで検査を受けようと思いました。しかし、電話で問い合わせると「症状のない人の検査はできるが、病状のある人の検査はできない」と言われました。
そこで、東京都の発熱相談センターの方に教えてもらった、同じ区内の病院に連絡をしました。すぐに検査に行きます、と答えたものの陽性の可能性もあるので交通公共機関は使えません。仕方なく歩いていくことにしたのですが、39度超の熱を抱えて、1キロの道のりを歩くのは困難でした。普段であれば何でもない距離ですが、30分以上かけて這うようにして病院にたどり着きました。
PCR検査は結果の判明までに時間がかかるので、まずは抗原検査をしましょうと医師の先生に言われました。極細の綿棒のようなものを使って、鼻孔の粘膜を拭うのです。コロナとインフルエンザ、両方の検査をしました。判明まで15分ほどかかります、と言われて待機していたのですが、ものの数分で担当の医師の方が戻って来られました。
「これをみてください」
差し出された検査キッドには、陽性を示す真っ赤な線がくっきり浮かびあがっていました。それを見た瞬間は言葉を失いました。まさかと思っていましたが、それが現実となったのです。
「ショックですよね」
見かねた医師から、そう声をかけられました。陽性と判明しても、そこからは歩いて自宅に戻らなければなりません。途中、家族、事務所、党の国対に電話を入れました。いずれも驚いた反応でした。
今国会は議運の野党筆頭理事を任されていました。国会閉幕前にこのような事態が判明し、「申し訳ない」という気持ちと同時に、悔しさがこみ上げてきました。一体、自分はこれからどうなるのか。答えの見えない世界をふらふらになりながら、さまよっているような気持ちでした。
国会議員になって様々な不安、ストレスと向き合ってきましたが、こんな気持ちになったのは初めてでした。自宅にたどりついたのはお昼前でした。
――陽性が判明した後、入院されるまではどうされていましたか?
「保健所からの電話があると思いますので自宅待機してください……」
帰宅後、医師の指示通りに待機いると、港区の保健所から連絡が入りました。その時点で39度超の熱があったので同じ、入院が望ましいとの指示を受け、港区内の病院を斡旋してもらうことになりました。
2時間ほどが経過した頃、携帯電話が鳴り、議員宿舎の玄関に降りると、黒いワゴン車と、完全防護服を着た2人の職員の方がおられました。入院先の港区内の病院までは、後部座席と運転席が隔離されたその完全防護車両に乗って移動しました。
病院に到着すると、そのまま減圧室に通され、問診とPCR検査、そして肺のCT検査、されに「汚染地域」と書かれたエリアの内側の隔離病棟に入り、病室に案内されました。矢継ぎ早にPSR検査、肺のCT検査、血液検査が行われ、その後、病室に案内されました。翌朝にはレントゲン検査や血液検査も行われました。
病棟内の移動はビニールシートに覆われた車椅子で、全身防護服を着た職員の方が押して下さるのです。初めてのことなので驚きましたが、このような過酷な環境下で働いておられる医療従事者の姿に、感謝と感動を覚えました。
――入院中の生活について教えてください。
幸いにも、血液の炎症を示す数値が、平時よりも高いけれども安定していたので、医師の判断は「軽症」でした。今後、容態が急変し人工呼吸器を必要とする状態にならない限り、投薬治療はせず、経過観察にとどめます、と言われました。
軽症と聞いて安心したのですが、自分の身体に起きた今の状況で「軽症」だとすると、「重症」と判断された方がどんなにお辛いかと胸が痛みました。「コロナは所詮、風邪のようなものだ」という書き込みがネットなどで散見されますが、とんでもない。今の自分の身体に起きていることから考えると、コロナを甘くみては絶対にいけないなと思いました。
熱は入院2日目までは39度台、3日目38度台、4日目の朝に37度台にまで下がったので、公人として何らかの説明をしなければと思い、自分のスマホで撮影した動画をツイッターに投稿しました。しかし、また翌日には38度台の熱が出て、また下がって、これで大丈夫かなと思うと、また夜になると38度台になる。症状に「波」があるんです。また、熱が下がっても、倦怠感や咳が治まりません。この一進一退が一週間以上続いて、ようやく9日目に36度台の平熱に戻り、11日目に退院ということになりました。
しかし、繰り返しになりますが、私は肺炎の症状がなく、人工呼吸器をつける必要のある状態でありませんでした。それで、これだけ苦しいのです。あと、今の時点でも咳が完全に抜けず、身体の芯の気怠さが残っています。万全の状態に戻るまでは、もう少し、日数がかかると思います。
陽性が判明すると、記憶をたどりながら濃厚接触者を洗いだすのですが、基本的にマスク着用で接触した人は濃厚接触者として認定されてないのです。つまり、私の場合、これに該当するのは、家族、事務所秘書、後援会関係者などマスクを外して会食をした数人でした。幸いにも、いずれも「陰性」でした。
しかし、実際にはマスクをつけて接触した非濃厚接触者は大勢おられます。濃厚接触者と認定されれば公費で感染の有無を検査できますが、非濃厚接触者の方は、自費で高額の検査を受けてもらわなければなりません。
マスクをつけていたから公費では検査できませんというのは、やはりおかしい。濃厚接触者を狭く絞って、できるだけ公費負担を減らすという従来の政府の方針は限界がある。やはり、誰しもがいつでも、どこででも、何回でも検査を受けることができる仕組みを確立すべきです。
そして、仮に発症していても、陽性と判断されない限り、保健所の対応の傘下に入れない矛盾があります。私の場合、すでに39度の熱があり、発症していたにも関わらず、検査のためだけに約1キロ離れた病院を歩いて自力で往復しました。
公共交通機関は使えない。家族の同行も許されない。高齢者や障害を持った方はどう対処すればよいのでしょうか。これがもし、郊外や地方であれば、1キロ圏内に検査が出来る病院がない場合もあります。せめて、発熱など発症の可能性がある場合は、防護車両等が使えるなどの体制整備が必要だと思いました。
そして、自分がこれから体験するのだと思いますが、どのようにして本格的に社会復帰を果たすのか。元感染者が肩身の狭い思いをせずに、社会復帰できる社会を作らないといけないと思います。
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