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国会議員3人目の新型コロナ感染で感じたこと、考えたこと~小川淳也氏インタビュー

まさか自分が感染。抗原検査で陽性を示す真っ赤な線を見た瞬間、言葉を失って……

中原一歩 ノンフィクション作家

夕食後に違和感、微熱から深夜には39度

――初めて身体の異変を感じたのはいつですか?

 11月16日(月)の夜です。39度台の高熱が出ました。この日は地元、香川県高松市から飛行機で上京した後、日中は厚生労働大臣、農林水産大臣らに対し、地元香川で発生した鳥インフルエンザ対策に関しての要望等で面会などしていました。夕方、時間が空いたので衆議院会館内のスポーツジム「国会健康センター」で身体を動かしました。

 違和感を覚えたのは夜。議員宿舎に戻って夕食をとってからです。最初は微熱でした。しかし、みるみるうちに体温は跳ね上がり、深夜には39度を超えました。立っているのもままならない状況でした。

 万が一のことがあるので、翌朝、東京都の「発熱相談センター」に電話。当時、東京都の一日の陽性判明者は200人。陽性率は「5%」前後で推移していました。ただ感染症対策には余念がなかったので、自分がまさかコロナに感染しているとは思いませんでした。私も「95%」の陰性の中の一人だと勝手に思い込んでいました。

拡大Unimagic/shutterstock.com

高熱で1キロ歩いて病院へ、抗原検査で陽性判明

――まずは「発熱相談センター」の電話をしたとのことですが、陽性が判明するまでの詳細を教えてください。

 まずは行きつけのクリニックで検査を受けようと思いました。しかし、電話で問い合わせると「症状のない人の検査はできるが、病状のある人の検査はできない」と言われました。

 そこで、東京都の発熱相談センターの方に教えてもらった、同じ区内の病院に連絡をしました。すぐに検査に行きます、と答えたものの陽性の可能性もあるので交通公共機関は使えません。仕方なく歩いていくことにしたのですが、39度超の熱を抱えて、1キロの道のりを歩くのは困難でした。普段であれば何でもない距離ですが、30分以上かけて這うようにして病院にたどり着きました。

 PCR検査は結果の判明までに時間がかかるので、まずは抗原検査をしましょうと医師の先生に言われました。極細の綿棒のようなものを使って、鼻孔の粘膜を拭うのです。コロナとインフルエンザ、両方の検査をしました。判明まで15分ほどかかります、と言われて待機していたのですが、ものの数分で担当の医師の方が戻って来られました。

 「これをみてください」

 差し出された検査キッドには、陽性を示す真っ赤な線がくっきり浮かびあがっていました。それを見た瞬間は言葉を失いました。まさかと思っていましたが、それが現実となったのです。

 「ショックですよね」

 見かねた医師から、そう声をかけられました。陽性と判明しても、そこからは歩いて自宅に戻らなければなりません。途中、家族、事務所、党の国対に電話を入れました。いずれも驚いた反応でした。

 今国会は議運の野党筆頭理事を任されていました。国会閉幕前にこのような事態が判明し、「申し訳ない」という気持ちと同時に、悔しさがこみ上げてきました。一体、自分はこれからどうなるのか。答えの見えない世界をふらふらになりながら、さまよっているような気持ちでした。

 国会議員になって様々な不安、ストレスと向き合ってきましたが、こんな気持ちになったのは初めてでした。自宅にたどりついたのはお昼前でした。

拡大小川淳也さん

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筆者

中原一歩

中原一歩(なかはら・いっぽ) ノンフィクション作家

1977年、佐賀県出身。高校時代に家出をして、ラーメン屋台で調理・接客修業をする。同時に、地方紙などで「食と地域文化」の原稿を執筆。上京後、世界各地を放浪。アマゾンから南極、アフガニスタンの戦場まで訪問国は80カ国に及ぶ。現在は雑誌やWEBなどで人物ルポや政治記事を執筆している。主な著書に『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)、『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)など。

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