メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

国会議員3人目の新型コロナ感染で感じたこと、考えたこと~小川淳也氏インタビュー

まさか自分が感染。抗原検査で陽性を示す真っ赤な線を見た瞬間、言葉を失って……

中原一歩 ノンフィクション作家

完全防護車両に乗って入院先の病院まで移動

――陽性が判明した後、入院されるまではどうされていましたか?

 「保健所からの電話があると思いますので自宅待機してください……」

 帰宅後、医師の指示通りに待機いると、港区の保健所から連絡が入りました。その時点で39度超の熱があったので同じ、入院が望ましいとの指示を受け、港区内の病院を斡旋してもらうことになりました。

 2時間ほどが経過した頃、携帯電話が鳴り、議員宿舎の玄関に降りると、黒いワゴン車と、完全防護服を着た2人の職員の方がおられました。入院先の港区内の病院までは、後部座席と運転席が隔離されたその完全防護車両に乗って移動しました。

 病院に到着すると、そのまま減圧室に通され、問診とPCR検査、そして肺のCT検査、されに「汚染地域」と書かれたエリアの内側の隔離病棟に入り、病室に案内されました。矢継ぎ早にPSR検査、肺のCT検査、血液検査が行われ、その後、病室に案内されました。翌朝にはレントゲン検査や血液検査も行われました。

 病棟内の移動はビニールシートに覆われた車椅子で、全身防護服を着た職員の方が押して下さるのです。初めてのことなので驚きましたが、このような過酷な環境下で働いておられる医療従事者の姿に、感謝と感動を覚えました。

コロナを甘くみてはいけない

――入院中の生活について教えてください。

拡大ツイッターで病室から最初の報告をする小川淳也さん
 病室に入ると「一歩も外には出ないでください」と言われました。2日に1回、看護婦の方がお水や石鹸の買い出しに行ってくださるのですが、最初の数日は全身を襲う倦怠感と熱も39度台が続いていたので、ひたすらベッドの上で眠り続けました。

 幸いにも、血液の炎症を示す数値が、平時よりも高いけれども安定していたので、医師の判断は「軽症」でした。今後、容態が急変し人工呼吸器を必要とする状態にならない限り、投薬治療はせず、経過観察にとどめます、と言われました。

 軽症と聞いて安心したのですが、自分の身体に起きた今の状況で「軽症」だとすると、「重症」と判断された方がどんなにお辛いかと胸が痛みました。「コロナは所詮、風邪のようなものだ」という書き込みがネットなどで散見されますが、とんでもない。今の自分の身体に起きていることから考えると、コロナを甘くみては絶対にいけないなと思いました。

 熱は入院2日目までは39度台、3日目38度台、4日目の朝に37度台にまで下がったので、公人として何らかの説明をしなければと思い、自分のスマホで撮影した動画をツイッターに投稿しました。しかし、また翌日には38度台の熱が出て、また下がって、これで大丈夫かなと思うと、また夜になると38度台になる。症状に「波」があるんです。また、熱が下がっても、倦怠感や咳が治まりません。この一進一退が一週間以上続いて、ようやく9日目に36度台の平熱に戻り、11日目に退院ということになりました。

 しかし、繰り返しになりますが、私は肺炎の症状がなく、人工呼吸器をつける必要のある状態でありませんでした。それで、これだけ苦しいのです。あと、今の時点でも咳が完全に抜けず、身体の芯の気怠さが残っています。万全の状態に戻るまでは、もう少し、日数がかかると思います。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

中原一歩

中原一歩(なかはら・いっぽ) ノンフィクション作家

1977年、佐賀県出身。高校時代に家出をして、ラーメン屋台で調理・接客修業をする。同時に、地方紙などで「食と地域文化」の原稿を執筆。上京後、世界各地を放浪。アマゾンから南極、アフガニスタンの戦場まで訪問国は80カ国に及ぶ。現在は雑誌やWEBなどで人物ルポや政治記事を執筆している。主な著書に『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)、『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)など。

中原一歩の記事

もっと見る