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『粛清裁判』『国葬』『アウステルリッツ』~「群衆3部作」が問う現代の民主主義

セルゲイ・ロズニツァのドキュメンタリー映画を観て

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

花に埋もれたスターリンの遺骸に長蛇の列をなす群衆

 スターリンの大粛清は1953年の「医師団陰謀事件」を最後に終わった。この事件の捏造はその真の狙いがわからず、スターリン以外の指導者たちの恐怖心を煽った。

 しかし、最後の粛清劇は序幕で終わった。同年3月6日、スターリンの死が発表されたのだ。ロズニツァ氏の映像ドキュメンタリー『国葬』は、モスクワを中心にソビエト全土で繰り広げられたスターリンの壮大な葬儀の記録だ。

拡大スターリン=1941年4月13日、モスクワのクレムリン宮殿

 全ロシアが喪に服し、花に埋もれたスターリンの遺骸を一目見ようと長蛇の列をなす群衆。涙する者も多い。映画には出てこないが、あまりに人が押し寄せたためにモスクワのトルブナヤ広場では群衆が将棋倒しになり大量の人が圧死した。犠牲者の数はいまだに判明していないという。

 歴史的にはスターリンの死の3年後、1956年2月にソ連共産党第20回大会が開かれ、ニキータ・フルシチョフがスターリンの個人独裁、大量粛清を批判する秘密報告を行ったが、このフルシチョフがスターリンの葬儀を司会する様子もフィルムに克明に収められている。

 私はソ連が消えてなくなる直前の1991年、74回目にして最後の革命記念の月にあたる11月、革命の跡を訪ねてソ連国内を駆けずり回った。モスクワからサンクトペテルブルグ、クロンシュタット、サマラ、カザン、そしてトビリシ、ゴリ。

 社会主義経済はほとんど息も絶え絶えの状態で、飛行機や鉄道の10時間ぐらいの遅れは日常茶飯事だった。雪の舞い散る駅では、列車がどの線路に入ってくるのかわからず、群衆とともに何時間もレール脇でうずくまって待っていなければならなかった。

 ロズニツァ氏は、私が重いカメラ機材を担いでソ連国内を歩き回っていたこの年、モスクワの全ロシア映画大学に入学した。

 ウクライナ国立工科大学を卒業し、国立サイバネティクス研究所で科学者として人工知能を研究していたが、ソ連崩壊の時代に「自分たちの歴史を正しく伝えたいという想いが強くありました」(公式インタビュー)という理由から進路を大きく変えた。

 20世紀の人間の進路を大きく変えた出来事は、スターリンの大粛清とナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所、広島・長崎への原子爆弾投下だったと私は考えている。その巨大で不条理な出来事の前では、人間は何一つ出来ることはなく、ただ吹き飛ばされ、払い捨てられる塵のごときものとなる。

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筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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