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「国際問題」に発展しなかったコザ騒動

「国際問題に発展させ、沖縄人を人間として認めさせる」という青年の叫びは…

阿部 藹 琉球大学客員研究員

主権の空白地帯

 なぜ沖縄の人びとは「無国籍」状態だったのか。それは米軍統治下の沖縄が “主権の空白地帯”とも言える奇妙な立場に置かれていたためである。

 戦後沖縄の法的地位を決定づけたのは1951年に日本と連合国諸国との間に結ばれたサンフランシスコ平和条約だ。本条約の1条によって日本と連合国諸国との戦争終結と日本の主権回復が定められた一方、本条約の3条によって沖縄を含む南西諸島についてはアメリカ合衆国がその領域の住人に対して行政、立法及び司法上の権力、つまり排他的施政権(統治権)を有することが決定づけられた。

拡大対日講和条約調印式で、講話条約書に署名する首席全権の吉田茂首相ら=1951年9月8日、サンフランシスコ

 一方で、アメリカの全権大使であったジョン・F・ダレスはその講和会議の演説で、日本が沖縄に関する「潜在主権」を有することを確認した。これによって沖縄は、日本が潜在主権を有するも、実質的な施政権(統治権)は米国が有するという二重構造の下に置かれることとなる。

 問題は、日米政府間での協議や国会での議論を経てもこの「潜在主権」なるものが日本政府によって明確に定義づけられることがなく、実質的には死文化していたということだ。この結果、二重構造の一つである「潜在主権」が空洞化し、アメリカの施政権(統治権)だけが沖縄に残された。

 このように名目上のものでしかなかった「潜在主権」だが、アメリカにとっては非常に都合の良いものだった。

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筆者

阿部 藹

阿部 藹(あべ あい) 琉球大学客員研究員

1978年生まれ。京都大学法学部卒業。2002年NHK入局。ディレクターとして大分放送局や国際放送局で番組制作を行う。夫の転勤を機に2013年にNHKを退局し、沖縄に転居。島ぐるみ会議国連部会のメンバーとして、2015年の翁長前知事の国連人権理事会での口頭声明の実現に尽力する。その後仲間と共に沖縄国際人権法研究会を立ち上げ、沖縄の諸問題を国際人権法の観点から分析し情報発信を行っている。2017年渡英。エセックス大学大学院にて国際人権法学修士課程を修了。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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