コロナの先にある危機(3)なぜか30年で組織がダメになる!!
2020年12月27日
「連載 コロナの先にある危機」の第1回「新型コロナ禍の前から危機は進行していた」では、過去四半世紀の日本経済・産業の姿を直視し、第2回「お金はあるが積極性に乏しい日本企業 そのわけは?」では、日本の企業がマクロで見た場合、経営陣が高齢化し同質化しているとともに、現場も劣化している可能性を指摘した。
最終回となる第3回では、日本の過去の失敗の歴史を見据えつつ、日本経済が抱える問題点と、それを克服するための方途を示したい。
私は1983年に当時の通商産業省に入り、日米経済摩擦の前線に立つこととなったが、当時の深刻な状況は今も鮮明に頭に残っている。
日米の貿易インバランスが解消しないことに業を煮やしたアメリカは1985年、「プラザ合意」による極端な円高でその是正を図ろうとした。
また、日本企業との競争にアメリカは敗れつつあるという認識のもと、当時ヒューレットパッカードの会長だったヤング氏の下で、産業界挙げて、アメリカ企業の競争力強化のための改革案のみならず、教育のあり方まで突っ込んで議論され、「ヤングレポート」としてまとめられた。それも1985年のことであった。
大学においても、MIT(マサチューセッツ工科大学)などでは、日本企業の競争力の源泉について徹底した研究が行われ、その成果は企業の現場に積極的に応用されていった。
アメリカ政府、アメリカ経済界、アメリカ学会が総力を挙げて、台頭する日本を目の敵にしてあらゆる手を打ってくる、その姿を筆者はみてきた。アメリカの国を挙げての危機感をひしひしと感じてきた。
翻って、今のわが国はどうか。
中国の猛烈な台頭を前に、もしかしたら今の日本は当時のアメリカの立ち位置にあり、今の中国が当時の日本の立ち位置にあるのかもしれない。だが、当時のアメリカが持っていた強烈な危機感を、残念ながら今の日本から感じることはできない。
危機感がなかったわけではない、危機感と日々の日常がどうしても結びつかなかった、と。
氏はそれを、「日常の自転」と呼び、やがてそれは「思考停止」に結びついていった、という。
しかしながら、かつて、日露戦争当時の陸軍はそうではなかったようだ。
南京虐殺の罪などに問われ、戦後A級戦犯として巣鴨プリズンの絞首台の露と消えた松井石根陸軍大将が、絞首台にのぼる直前に語った言葉が残っている。
死の直前のこの言葉が、正直な心境の吐露なのか、責任回避の言葉なのかはわからない。だが、「国が変わって」というさりげない一言にはどうしても引っかかる。松井大将にとって、日露戦争当時の日本と第二次世界大戦時の日本は、国が変わったと感じられるくらいの変化であった。
もう一例を挙げる。戦後、連合国総司令官として日本に進駐したダグラス・マッカーサー。実は彼は、日露戦争後の日本を訪れている(当時25歳)。そのとき、日露戦争の観戦武官だった父親に連れられて、日露戦争の英雄である大山巌元帥や乃木希典大将らの聲咳(けいがい)に触れている。
その彼は第2次世界大戦後、実際に自分が戦った軍人と日露戦争当時の軍人とを比較して、同じ国の軍人とは思えなかった、という言葉を残している。
日露戦争から第二次世界大戦までは30数年しか経っていない。この間、日本陸軍という組織は大きな変貌を遂げていた。どうも日本の組織というのは30年も経つと変わってしまうものらしい。
振り返れば、第1回で略述した、過去30年ほどの日本経済の凋落(ちょうらく)も、日本人の組織に特有の症状が現れたためのような気がしてならない。その現象面については、第2回で紹介した。
名著『失敗の本質』(中公文庫)の著者の一人である野中郁次郎氏は、小生が若いころ企画した講演会で、戦前の組織から学ぶべき視点として、たった一つの教訓を述べられた。
「何が物事の本質か、それを常に追求する個人、そしてそれを許容する組織風土、それを維持することに尽きる。あとは応用問題だ」
日本の組織というのは創設当初は非常に柔軟で、抜擢も行われるし新しいアイデアも実現してゆくが、30年も経つと、「誰々が言っているから」とか「過去はこうだったから」ということで重大な意思決定が平然と行われるようになる。
大切なのは、そのときに、それはおかしいのではないかという本質を議論する人材を確保し続けることであり、そしてそういう人材を大事にする組織風土を維持し続けることであ。それが、野中先生が伝えたい教訓であった。
30年経つと、日本の組織は変質する。
第2回の拙稿で述べたように、平成の30年間で、日本のエクセレントカンパニーは、高齢化し同質化し、内部留保をたくさん抱えながらも、思い切れない組織になっているのではないか。今まさに挑戦の時代を迎えているにもかかわらず……。
「日常が自転」し、危機感を有していてもそれがアクションには結びつかない。
地球温暖化への対応として、菅義偉総理は「2050年カーボンニュートラル」、すなわち、温室効果ガスの排出を2050年に実質ゼロにするという目標を掲げた。温暖化は地球全体の脅威であり、この目標は何としても実現していかねばならない。
ただ、世界の温暖化対策の皮を一枚向けば、世界各国は、温暖化対策の名目のもと、いかにして自国の産業競争力を高め、勝ち抜くかに血道をあげていることがひしひしと伝わってくる。デジタルトランスフォーメーションと並んでこの分野は、将来の成長を決する、負けられないバトルフィールドであるからである。
水素の活用もその一つだ。実は、わが国は東日本大震災の被災地である福島県浪江町に、世界最大の水素製造能力を有する施設を保有し稼働している。しかしながら、EUは本年7月に水素戦略を策定し、2030年に40ギガワットの水素製造能力を保有する絵をかき、実現に向けて邁進し始めた。40ギガワットというのは、浪江町の製造能力の実に4000倍である。
期待の洋上風力も、技術は、デンマークはじめとするヨーロッパ勢に席巻されている。
電気自動車も、お隣の中国では、「新エネルギー車」(電気自動車、プラグインハイブリッド車、燃料電池車を指す)が国内新車販売台数に占める比率を、5年後の2025年には20%前後に高めるという目標(新エネルギー車産業発展計画)のもと、国を挙げて全力でその開発・普及に取り組んでおり、一台46万円の電気自動車が販売されたというニュースにも接した。EUは12月9日、2030年までに電気自動車や燃料電池車などの排ガスゼロ車を少なくとも3000万台(市場の15%程度)普及させるとの目標を発表した。
否が応でも思い出されるエピソードがある。
小生が通産省に入ったころ(1983年)、
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