メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

危機があっても「日常が自転」し行動に結びつかない日本の組織 どう変えるか?

コロナの先にある危機(3)なぜか30年で組織がダメになる!!

齋藤 健 自民党衆議院議員・元農水大臣

 「連載 コロナの先にある危機」の第1回「新型コロナ禍の前から危機は進行していた」では、過去四半世紀の日本経済・産業の姿を直視し、第2回「お金はあるが積極性に乏しい日本企業 そのわけは?」では、日本の企業がマクロで見た場合、経営陣が高齢化し同質化しているとともに、現場も劣化している可能性を指摘した。

 最終回となる第3回では、日本の過去の失敗の歴史を見据えつつ、日本経済が抱える問題点と、それを克服するための方途を示したい。

拡大RRice/shutterstock.com

日本の台頭にあらゆる手を打ったアメリカ

 私は1983年に当時の通商産業省に入り、日米経済摩擦の前線に立つこととなったが、当時の深刻な状況は今も鮮明に頭に残っている。

 日米の貿易インバランスが解消しないことに業を煮やしたアメリカは1985年、「プラザ合意」による極端な円高でその是正を図ろうとした。

 また、日本企業との競争にアメリカは敗れつつあるという認識のもと、当時ヒューレットパッカードの会長だったヤング氏の下で、産業界挙げて、アメリカ企業の競争力強化のための改革案のみならず、教育のあり方まで突っ込んで議論され、「ヤングレポート」としてまとめられた。それも1985年のことであった。

 大学においても、MIT(マサチューセッツ工科大学)などでは、日本企業の競争力の源泉について徹底した研究が行われ、その成果は企業の現場に積極的に応用されていった。

 アメリカ政府、アメリカ経済界、アメリカ学会が総力を挙げて、台頭する日本を目の敵にしてあらゆる手を打ってくる、その姿を筆者はみてきた。アメリカの国を挙げての危機感をひしひしと感じてきた。

 翻って、今のわが国はどうか。

 中国の猛烈な台頭を前に、もしかしたら今の日本は当時のアメリカの立ち位置にあり、今の中国が当時の日本の立ち位置にあるのかもしれない。だが、当時のアメリカが持っていた強烈な危機感を、残念ながら今の日本から感じることはできない。


筆者

齋藤 健

齋藤 健(さいとう・けん) 自民党衆議院議員・元農水大臣

1959年生まれ。1983年東京大学卒業後、通産省(現経済産業省)に入り、中小企業庁などを経て、戦後最も難航した日米通商交渉である日米自動車交渉に携わる。その後、小泉内閣のもとでの最大課題であった道路公団民営化などの行革を担当。深谷通産大臣秘書官、資源エネルギー庁電力基盤整備課長を経て、上田埼玉県知事の求めにより埼玉県副知事。企業誘致になどに力を発揮する。自民党の公募により衆議院の候補者になり、一度落選したあと、自民党が野に下った2009年第45回衆議院議員総選挙にて初当選。同期に小泉進次郎環境大臣がいる。以後、環境大臣政務官、農林水産副大臣を経て、2017年8月当選3回という異例の抜擢で農林水産大臣。 現在は、予算委員会理事、憲法審査会幹事、農林水産委員会理事、原子力問題特別委員会委員の4つの委員会に所属し、自民党でも、憲法改正推進本部副本部長、TPP・日EU・日米TAG等経済協定対策本部事務総長、20200年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部幹事長、農林・食料戦略調査会幹事、スポーツ立国調査会幹事長を務める。国会と党の政策立案の現場で奮闘中。著書に『増補 転落の歴史に何を見るか』(ちくま文庫)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

齋藤 健の記事

もっと見る