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危機があっても「日常が自転」し行動に結びつかない日本の組織 どう変えるか?

コロナの先にある危機(3)なぜか30年で組織がダメになる!!

齋藤 健 自民党衆議院議員・元農水大臣

「日常の自転」が「思考停止」に結びつき……

拡大評論家で山本書店店長の山本七平=1982年12月8日
 私は、日本人というものを徹底的に追求した評論家の山本七平氏が陸軍軍人在職中に感じた感想が、今、頭から離れない。氏は、愚かと思われる事態を繰り返す軍の実情をこう表現した。

 危機感がなかったわけではない、危機感と日々の日常がどうしても結びつかなかった、と。

 氏はそれを、「日常の自転」と呼び、やがてそれは「思考停止」に結びついていった、という。

 しかしながら、かつて、日露戦争当時の陸軍はそうではなかったようだ。

日露戦争のときとは「国が変わって」

 南京虐殺の罪などに問われ、戦後A級戦犯として巣鴨プリズンの絞首台の露と消えた松井石根陸軍大将が、絞首台にのぼる直前に語った言葉が残っている。

拡大陸軍大将・松井石根さん
 「 私は日露戦争のとき大尉として従軍したが、その当時の師団長と今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、ロシア人に対してはもちろんだが、中国人に対しても、捕虜の扱いその他をよくいっていた。今度はそうはいかなかった。……武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変わっておった。……(自分が虐殺を叱ると)あとで皆が笑った。ある師団長のごときは、当たり前ですよ、とさえ言った。国が変わって、若い者が血気はやって、とうとうこんなことになったと思う。」(竹山道雄『手帖』より)

 死の直前のこの言葉が、正直な心境の吐露なのか、責任回避の言葉なのかはわからない。だが、「国が変わって」というさりげない一言にはどうしても引っかかる。松井大将にとって、日露戦争当時の日本と第二次世界大戦時の日本は、国が変わったと感じられるくらいの変化であった。

 もう一例を挙げる。戦後、連合国総司令官として日本に進駐したダグラス・マッカーサー。実は彼は、日露戦争後の日本を訪れている(当時25歳)。そのとき、日露戦争の観戦武官だった父親に連れられて、日露戦争の英雄である大山巌元帥や乃木希典大将らの聲咳(けいがい)に触れている。

 その彼は第2次世界大戦後、実際に自分が戦った軍人と日露戦争当時の軍人とを比較して、同じ国の軍人とは思えなかった、という言葉を残している。

30年経つと変質する日本の組織

 日露戦争から第二次世界大戦までは30数年しか経っていない。この間、日本陸軍という組織は大きな変貌を遂げていた。どうも日本の組織というのは30年も経つと変わってしまうものらしい。

 振り返れば、第1回で略述した、過去30年ほどの日本経済の凋落(ちょうらく)も、日本人の組織に特有の症状が現れたためのような気がしてならない。その現象面については、第2回で紹介した。

 名著『失敗の本質』(中公文庫)の著者の一人である野中郁次郎氏は、小生が若いころ企画した講演会で、戦前の組織から学ぶべき視点として、たった一つの教訓を述べられた。

 「何が物事の本質か、それを常に追求する個人、そしてそれを許容する組織風土、それを維持することに尽きる。あとは応用問題だ」

 日本の組織というのは創設当初は非常に柔軟で、抜擢も行われるし新しいアイデアも実現してゆくが、30年も経つと、「誰々が言っているから」とか「過去はこうだったから」ということで重大な意思決定が平然と行われるようになる。

 大切なのは、そのときに、それはおかしいのではないかという本質を議論する人材を確保し続けることであり、そしてそういう人材を大事にする組織風土を維持し続けることであ。それが、野中先生が伝えたい教訓であった。

 30年経つと、日本の組織は変質する。

 第2回の拙稿で述べたように、平成の30年間で、日本のエクセレントカンパニーは、高齢化し同質化し、内部留保をたくさん抱えながらも、思い切れない組織になっているのではないか。今まさに挑戦の時代を迎えているにもかかわらず……。

 「日常が自転」し、危機感を有していてもそれがアクションには結びつかない。

拡大kmls/shutterstock.com

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筆者

齋藤 健

齋藤 健(さいとう・けん) 自民党衆議院議員・元農水大臣

1959年生まれ。1983年東京大学卒業後、通産省(現経済産業省)に入り、中小企業庁などを経て、戦後最も難航した日米通商交渉である日米自動車交渉に携わる。その後、小泉内閣のもとでの最大課題であった道路公団民営化などの行革を担当。深谷通産大臣秘書官、資源エネルギー庁電力基盤整備課長を経て、上田埼玉県知事の求めにより埼玉県副知事。企業誘致になどに力を発揮する。自民党の公募により衆議院の候補者になり、一度落選したあと、自民党が野に下った2009年第45回衆議院議員総選挙にて初当選。同期に小泉進次郎環境大臣がいる。以後、環境大臣政務官、農林水産副大臣を経て、2017年8月当選3回という異例の抜擢で農林水産大臣。 現在は、予算委員会理事、憲法審査会幹事、農林水産委員会理事、原子力問題特別委員会委員の4つの委員会に所属し、自民党でも、憲法改正推進本部副本部長、TPP・日EU・日米TAG等経済協定対策本部事務総長、20200年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部幹事長、農林・食料戦略調査会幹事、スポーツ立国調査会幹事長を務める。国会と党の政策立案の現場で奮闘中。著書に『増補 転落の歴史に何を見るか』(ちくま文庫)

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