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国民にメッセージが届かなくなった政治

花田吉隆 元防衛大学校教授

新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で発言する菅義偉首相=2020年12月14日、首相官邸、恵原弘太郎撮影

 リーダーが旗を掲げ、国民はそれに従いついていく。統治の基本形態だ。リーダーが発するメッセージこそが旗だ。国民にメッセージが届かないとは、国民に旗が見えないということだ。どこに旗があるのか、自分はどこに向かって進めばいいのか。国民は右往左往だ。

 欧米に比べ、日本は強制力のある罰則はいらないと言われた。国民はリーダーの下、一糸乱れぬ行動をとる。オーケストラの指揮者がコンタクト棒を一振りすれば、国民はそれに従っていく。マスクが必要となれば、法律などなくても国民のほとんどがマスクをする。それが日本だと言われた。したがって、国民にメッセージが届かないとすれば由々しきことと言わざるを得ない。

 11月、政府はこれからが「勝負の3週間」だとし、ここで踏ん張れるかどうかが今後を左右するとした。だから国民の協力を強く求めたいと訴えた。3週間が経ち、勝負の結果は誰の目にも明らかとなった。敗北だ。感染は一向に減らず、それどころか連日「過去最多」の見出しが躍る。政府は、勝負の3週間で国民の行動変容を期待した。現実には国民の行動は何ら変容しなかった。3週間が過ぎ去り、4週間目に入っても、国民が政府の危機感を共有し、その行動を変容させたようには見えない。連日、人出は減るどころか、場所によっては増えてさえいる。国民は政府のメッセージを無視しているかのようだ。

メッセージを発する側の「訴える力」が落ちた

 どうしてこうなったか。

 「国民は、コロナの感染拡大に慣れてしまった」「既に、十分な感染対策をしている。今更、それ以上しろと言われてもしようがない」「手洗い、距離、マスクでコロナは防げるとの妙な自信が生まれた」等々、様々な解説がある。しかし、基本は、メッセージを発出する方の「訴える力」の問題だろう。訴える力が落ちた。

 なぜ、訴える力が落ちたか。政府自体が、「本気で訴えたい」と思っていない。

 政府の基本的態度は、感染防止と経済維持の両立だ。その姿勢こそがメッセージとして国民に伝わっている。急に勝負の3週間と言っても、国民に感染防止の本気度が伝わってこない。片や、政府は、補助金を出して国民に移動を奨励する、その裏で、例えば都知事が移動の自粛をと言っても、国民はどっちを向けばいいのか分からない。もし、政府が本気で勝負の3週間と言うなら、その時点でGoToの一時停止を発表すべきだった。感染防止と経済の両立は必要だが、今は軸足を感染防止に移すべき時だ、経済はひとまず置いて、感染防止に全力を挙げてもらいたい、と言えば、メッセージはそれなりに明瞭だ。それをせず、勝負の3週間といいつつGoToはそのまま、あるいは、札幌市と大阪市だけ止める、それも、入りだけ止め、ややあってやはり出の方もでは、国民誰もが、政府は本気で感染防止を求めてないと考えても不思議でない。

 その後、政府は、GoToの全国一時停止を発表した。遅きに失した。今となっては感染防止にどれだけ効果があるか。何より、人出は以前同様、減る兆しがない。年末という悪い時期にぶつかったこともあるが、政府のメッセージが訴える力を失ってしまったというのが事の真相だ。

はっきりしない政府の姿勢

 政府は、「今はひとまず経済はおいて、感染防止に集中すべき時だ」というのか、それとも「依然、感染防止と経済の二兎を追え」というのか。更に「感染防止を十分して大いに活動せよ」というのか、あるいは「今はとにかく外出自粛、ステイホーム」なのか。政府自身、どっちを求めたいのかはっきりしない。はっきりしないメッセージは訴える力を持たない。

 しばらくして同じ過ちがまた繰り返された。政府は「5名以上の会食自粛」を求めつつ、

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