事件当日に政府方針? 元外務省幹部や学者「後からその日付にした可能性」
2020年12月28日
毎年恒例の外務省による外交文書公開で、ファイル26冊、1万ページ超が2020年12月に公開された。作成から30年以上が対象になる「30年ルール」で、昭和天皇逝去後の平成(1989年1月~)、米ソが約40年対峙した冷戦の終結後(89年12月~)の記録が初めて出てきた。朝日新聞の取材班5人は27本に及ぶ記事で当時の激動を伝えた。
その肝は1989年6月4日の天安門事件。文字どおり世界を揺るがした、中国での民主化運動に対する共産党政権の武力弾圧だ。数々の文書を取り上げた記事のラインナップにはないが、事件発生の日付を記して異彩を放ち、取材の焦点となったある文書がある。謎の「6.4」文書を取材班が追った経緯を、キャップを務めた立場から報告する。
「6.4」文書はA4版の一枚紙で、ファイル「天安門事件(現地情勢と日本の対応)」に含まれる。外務省によると、このファイルは、かつて中国を所管していたアジア局の中国課がまとめ、後身のアジア大洋州局の中国・モンゴル1課で保管されてきた。綴じられた約450ページにおよぶ文書の日付は「1989年5~8月」とある。
5月には、中国政府が天安門広場を中心とした民主化要求デモに対し、北京に戒厳令を敷いた。8月には、日本外務省が武力弾圧を受けて、当面の邦人の安全確保や対中外交方針を検討する省内横断の態勢を解いた。このファイルの文書は、その間の対中外交を基本的に時系列でカバーしている。
その中にある「6.4」文書の全体をまず紹介する。
タイトルは「中国情勢に対する我が国の立場(主として西側向け)」。作成者の名はなく、右上に「秘 無期限」のハンコがある。
「西側」とは冷戦末期の当時、ソ連や中国など「東側」に対していた米国や西欧のことだ。日本も「西側」に属していたのに「西側向け」とする表現から、米国や西欧と間合いをとるニュアンスが感じられる。
その下には天安門事件をふまえ、翌7月にパリで開かれるサミットに向けた日本政府の方針ともとれる内容が記されている。サミットとは、今も続く米国や西欧諸国、日本などが毎年持ち回りで開く主要国首脳会議のことだ。
「西側諸国」とともに民主化運動への武力弾圧を非難、だが中国を追い込んで孤立させるのはよくない、中国に経済の改革・開放路線を維持させ国際協調を促し、関係を徐々に戻していく――。その後に実際に日本がとった対応だ。
取材班が注目したのは、タイトルの右にある日付だ。「平.元.6.4」。昭和天皇の逝去で元号が変わった平成元年(1989年)6月4日を示すが、そうであれば日本政府は天安門事件の当日、情報収集や邦人の安全確保で混乱を極める中で、ここまで先を見越した方針を作っていたことになる。
だが、はたしてそんなことが可能だろうか?
実は、1989年の6月4日の日本は、竹下登内閣が政財界を揺るがせた「リクルート問題」で退陣した直後。天安門事件が起きて、外務省が事務次官をトップとする「中国情勢に関する特別検討本部」を設けたのは7日になってからだ。4日の時点では、日本政府どころか外務省内ですら方針が固まっていたか定かでない。
さらに不自然なのは、この「6.4」文書が綴じられていた場所だ。
冒頭でこのファイルは「基本的に」文書を時系列で綴じていると書いたが、「6.4」文書は逸脱している。ファイル内の「6月」のフォルダで6月4日付から始まる文書のところには出てこず、サミットへの対処方針が6月下旬にかけて固まる経緯を示す文書が並んだ後、いきなり4日付けに戻るこの文書が出てくるのだ。
しかも、出てくる場所とは、「●●内話」という怪しげなタイトルの小フォルダの中。「内話」とは、外国政府関係者との突っ込んだ意見交換でよく使われる外交用語で、相手の名が漏れないよう記録は極秘扱いになることが多い。
この小フォルダの最初にある内話の記録も極秘扱いとされ、今回の文書公開においても、6月26日に外務省中国課長が懇談した東京の中国大使館幹部とみられる相手の名は「●●」、つまり墨塗りで伏せられた。その懇談録のすぐ後に、「6.4」文書が綴じられているのだ。
これはどういうことか。「6.4」文書だけ抜き出せば、こんな解釈もできる。
5月20日に中国政府が戒厳令を敷いた時点で、武力弾圧は予想できた。竹下首相がすでに退陣表明して日本政治も混乱するなか、武力弾圧に備えて外務省が早めに政府の対処方針を練っていて、事件発生の6月4日に素早く決めた――。
取材班は、天安門事件への対処方針作成に局長や課長として関わった複数の元外務省幹部にあたった。だが、こうした仮説を裏付ける証言は全く得られなかった。
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