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国外逃亡から1年。ゴーン事件への日本の司法・日産の対応は正しかったのか

年明けから事情聴取を開始するフランス検察当局と国連人権委員会の報告の行方

酒井吉廣 中部大学経営情報学部教授

 電撃的なゴーン前日産会長の逮捕があった2018年11月から2年、同会長が「マジック・ショー」並みの国外逃亡を実行した昨年12月から1年が経過した。

ゴーン事件をめぐりさまざまな動きが

 そんな中、本年12月26日(土)にレバノン司法省が、2021年1月にはフランス検察当局によるゴーン元会長への事情聴取が逃亡先のレバノンで行われると発表した。聴取ポイントは、①オマーンの販売協力会社への販促資金が正当なものだったのか、②ゴーン元会長が旅費やイベント費として計上していた金額に不正計上はなかったか――の二点である。実際の聴取結果とその後のフランス当局の行動を見る前に拙速な判断はできないものの、日本の東京地方検察局が準備していた罪状と比べれば軽い。また、立件も容易とは思えない。

 この間、11月20日には、5人の独立した専門委員から構成される「恣意的拘束に対するワーキング・グループ」が、ゴーン元会長への日本の検察当局の対応は「不公平」だとする17ページからなる意見書を国連人権委員会に出した。これ対して、上川陽子法務大臣と東京地検が「事実誤認」との反論を発表している。

 日本では、12月8日にケリー元取締役の初公判が終わり、検察と司法取引を行った大沼敏明・元秘書室長への尋問に注目が集まったが、弁護側も元取締役に有利な情報を引き出しており、この問題の難しさをあらためて感じさせるものだった。また、12月23日には、ゴーン元会長の前弁護団の弘中惇一郎弁護士が、東京地検による自身の事務所捜査は依頼者の秘密を守る権利を侵害するものだとして、損害賠償請求を出している。

 本人のレバノンに逃亡後、時間の経過とともに注目度が落ちているゴーン事件だが、日産(日本)、ルノー(フランス)、両社の持ち株会社(オランダ)の3カ国にまたがる元世界最大(昨年は第3位)の自動車メーカーを揺るがした事件が抱える問題は大きい。さらに、日本の司法当局は対応を間違えば世界から捜査構造の変更を求められるおそれがあること、業績不振が続く日産のガバナンスとコンプライアンス上の問題が明るみになりつつあることもあり、本件からは今後も目が話せない。

インタビューを終え、部屋の入り口で待つ妻のキャロル容疑者(左)のもとへ歩く日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告=2020年1月10日、レバノン・ベイルート

「ゴーン事件」とは何だったのか

 ゴーン事件については、元検事、公認会計士など多くの専門家が意見を述べてきた。筆者も「論座」に2019年2月から何度か寄稿をしている。

 この事件が注目を集めた一因は、当初はゴーン元会長の単なる私利私欲の犯罪と見られた問題が、彼の強い検察への反発によって、日本全体を揺るがせたからだ。くわえて、日本を代表する企業とみられた日産が彼の退任後、経営力を著しく低下させ、親会社のルノーにまで経営の混乱が見られたからである点も、世間の興味を引いた。

 現段階でこの事件を総括すれば、以下のようになろうか。

 「基本的には、日産がどの取締役も物を言えなかったゴーン元会長を、日本の司法当局の力を借りて退治しようとしている事件。ただ、彼の逃亡により、日本での公判は主人公のいない空虚なイメージが出てしまった。
 一方、日産の動きを受けて、ルノーもフランスの司法当局に訴えたため、逃亡先のレバノンの旧宗主国でもあるフランスの司法当局が独自の捜査を進めている。また、米国籍のキャロル夫人が、米司法当局と国連人権委員会に日本政府の夫への対応が人権的に問題だと訴えたことで、日本の司法当局はこれへの対応を余儀なくされつつある事件」

 4回の逮捕のうちの1回が、ゴーン元会長のキャロル夫人からの接触を受けた米国メディアが生番組でインタビューをしようとしたタイミングと重なったことで、東京地検特捜部の逮捕の仕方へのイメージに臨場感が出たことが、米国を中心とする英語圏で話題となり、これが国連の人権委員会を動かしたであろうことも見逃せない。

 ゴーン元会長は、逃亡先のレバノンで記者会見を行ったほか、複数のメディアの単独インタビューも受けている。これは、無実を主張する彼一流のパフォーマンスでもあった。ちなみに、その際に米メディアCNNが使った「hostage justice」は、1998年に日本弁護士連合会が国連人権委員会に提出した報告書で初めて使った言葉である。

 これまでのところ、天はゴーン元会長に味方しているような印象を受ける。すなわち、ゴーン元会長は、本来ならば「too big too fail」で周囲が闇に葬るはずの人物だった。ところが、その過去からのダークな呪縛が破られても、結局、大物はいまだに経路不明の逃亡劇で日本を脱出して「自由を得た」と言わんばかりの声明を出すなど、まったく屈していない。

 この事件を人権問題と受け止めたフランスの世論を意識したマクロン大統領は、安倍首相に彼に対する公平な扱いを求めると同時に、ゴーン元会長に会っている。

 本稿の結論を先取りすれば、ゴーン事件とは、犯罪内容もさることながら、それを許した日本企業のガバナンスやコンプライアンスの弱さ、もっといえば世界に蔓延する「強い者には巻かれろ」の風潮を見せつけられるものだったのではないか。より大きな流れで見れば、日本人が基本的に信頼を置いてきた江戸時代から続く日本独特の司法と日本人の人権意識を、大きく変える可能性のある事件だと言えるのではないだろうか。

 ただし、そうなるかどうかは、日本のメディアが本来のジャーナリズムにあるべき正義をとことん追求する、言い方を変えれば、強いものに屈しないでジャーナリズムを追求できるかどうかがカギとなる。

「ゴーンに物言える役員いない」の意味

 ゴーン元会長は、日本では金融商品取引法違反、特別背任罪で起訴されている。日本の各紙の報道と、逮捕以来の日産の発表、関連した記者会見を見直してみると、この手の事件は、犯罪となるかどうかを別にして、ワンマン経営の会社には多かれ少なかれ存在するような話だ。

 つまり、大沼・元秘書室長がケリー元取締役の公判で語った「ゴーンに物言える役員いない」というのは、「ゴーンに代わる経営者いない」ということでもあり、その大物経営者を何の準備もなく取り除くと、会社の経営が危機に瀕するということを意味していたともいえる。

 日本の他の企業でみてみよう。例えば、ソフトバンクの孫正義会長や日本電産の永守 重信会長が突如、経営から去らざるを得ないような事態になれば、この両社の経営が傾くかもしれないとの仮説が成り立つのと同様である。

 ただし、日本を代表する経営者であるこの2人は、後継者選びにも力を入れてきた。特に永守会長は、本来であれば日産のトップとなる可能性を秘めた関潤・副COO(退職した当時の役職)を、日産が西川廣人CEOの後継者として内田誠CEOを選んだ直後に、後継者含みで引き抜いている。経営手腕とはこういうことを言うのだろう。

 日産の場合はどうだったのか。筆者はゴーン事件が発生した後、日産の過去10年のディスクロージャー資料を読んだが、ゴーン元会長も後継者を考えていたであろうことは、随所に見て取れた。また、彼が逮捕された当時のCEOだった西川氏は、恐らく事件がなければ、低迷していた日産の経営を立て直す力があったかもしれない。だが、彼は自分が全権を握るまで「イエスマン」に徹することができず、自らの社会人人生も壊してしまった。

日産本社=2020年2月13日、横浜市西区

ルノーを巻き込んだ社内的な解決はできなかったのか

 「ゴーンに物言える役員いない」という発言は、全取締役が「イエスマン」だったことを意味するが、その中心であった西川CEO(当時)は、ゴーン元会長逮捕劇を単独記者会見で正当化したものの、肝心のゴーン元会長も、その腹心の部下にも、現段階では有罪判決が出るかどうかさえわからない。それどころか、グレッグ元取締役の証言一つで西川氏自身も辞任に追い込まれており、結局のところ「相討ち」に過ぎなかった。

 言語も文化の違う二つの企業が持ち株会社を利用した形式的な統合をしても、結局は融合できず、立場の弱い日本人は肝心な時に正しい判断を出来なかったということか。

 西川氏は、パリから東京に到着した上司を抜き打ちで逮捕させるような行動を採る前に、当人に問題をぶつけるべきだったのだろう。

 素朴に疑問を感じるのは、仮にゴーン元会長が西川CEOの立場なら、日産の取締役会を通じた解決を試みたのだろうかということである。ルノーの南米子会社でリストラという厳しい仕事を成功させてきた彼ならば、古巣でもあるルノーにも連絡し、社内解決を図ったのではないか。それが会社も自分も守るという経営者の判断だと感じる。刑事で訴えるかどうかは、その後であっても何の問題もない。

 本件の最大のミステリーは、ゴーン事件が巷間言われているルノーの子会社化を避けるためではなかったのであれば、ゴーン元会長に物言えない日産の役員でも、ルノーという親会社を使えば、社内的な解決ができたのではないかということに他ならない。

辞任発表から一夜明け、報道陣の質問に答える日産自動車の西川広人社長=2019年9月10日、東京都内

国連人権委員会は今後どう動くのか

 国連人権委員会の「恣意的捜査に対するワーキング・グループ」の報告書は、東京地検特捜部など日本の司法当局のゴーン元会長の扱いにフォーカスしているが、内容自体は日本の「人質司法」と呼ばれる制度や構造のすべてを網羅している。また、この意見書によれば、ワーキング・グループはフォローアップをする予定にある。

 国連人権委員会のウェブサイトには、個々のワーキング・グループの具体的な最終目的は書かれていないが、その一方で意見書にもある通り、すべての国連加盟国を巻き込んで「恣意的捜査」を廃止させることを意図していることは間違いないだろう。

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