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国民の自画像としての安倍/菅政権(上)

安倍抜きでも続く「安倍一強体制」の構造

白井聡 京都精華大学人文学部准教授

 安倍政権の突然の崩壊にともない「安倍政権を総括する」と題したシリーズを3回にわたって連載した。「続く」としたままで未完になっていたが、安倍政権を継承するとして始まった菅義偉内閣の現状と合わせて改めて稿を起こしたい。

日本の統治システムは崩壊した

菅義偉首相=2020年12月24日、首相官邸

 新型コロナ・パンデミックの第三波が広がるなかで、菅義偉政権の支持率がガタ落ちしてきた。医療従事者たちの悲鳴にも似た訴えは遅々として聞き入れられず、政治家たちは不要不急の会食をやめることすらできない。

 筆者が最も驚かされたのは、イギリスで発生した新型コロナウイルス変異種への対応であった。昨年末、12月21日にTBSの番組に出演した菅首相は、感染力70%増しと言われるこの変異種への対応、具体的にはイギリスからの入国者への水際対応について問われて、現在のイギリスからの入国者は「一日に一人か二人」であると答えた。観ていた筆者は、「そうなのか。その規模ならば管理はそう難しくないだろうな」と思った。よもや、総理大臣がこの重大事態について不正確なことを言うとは思っていなかったからだ。

 ところが、12月23日の記者会見で加藤勝信官房長官が明らかにしたことには、12月のイギリスからの入国者はその時点で一日平均150名であったという。つまり、菅首相の認識の実に75~150倍の人数が入国していた。首相は、事態の深刻性についてまったく何の把握もできていなかったのである。

 なぜこのような失態が発生したのか。可能性としては二通りの原因が論理的には考えられるだろう。

 ①首相は、コロナ対応についてやる気がなくどうでもよいと思っているので、正確な状況を把握する気がなく、対策する気もない。
 ②首相が間違ったことを言って恥をかくことを意図して、側近が嘘を吹き込んでいる。

 どちらが真実であるにせよ、日本の統治システムは崩壊していると判定せざるを得ない。ここに至るまでの間、新型コロナ専門病院をつくらねばならない、PCR検査を増やすための抜本的な方策をとらなければならない、といった繰り返し指摘されてきた課題はほとんど果たされず、陽性率算出の全国的な統一基準もいまだに存在しないのでまともな統計すら出せない。野党が12月初めに要求した特措法改正を拒否しながら、今頃になって抜本改正を検討するなどという茶番を演じている。

 しかし、少し冷静に考えてみれば、この崩壊について驚くべき要素はあるだろうか。総理大臣が国会で118回も嘘の答弁をし、公文書改竄が日常茶飯事と化したこの国で、新型コロナ対応に関してだけはまともに統治機構が機能すると想定する方がよほど不自然であろう。

 忘れてはならないことだが、菅が無能をさらす前に、安倍晋三がコロナ対策の不評により退陣へと追い込まれた。菅は安倍政権の大番頭であり、「安倍政権の継承」を掲げて総理総裁に選出された人物である。言い換えれば、菅は前政権の不正・無能・腐敗の元凶の一部であり共犯者である。したがって本来、安倍政権退陣と共に捨てられるべきだった膿である。パンケーキ伝説と叩き上げ苦労人伝説でいくら粉飾したところで膿は膿。だから、新型コロナ第三波への無策は、何ら驚くに値しない。そのわかりきった本質をさらに明らかにしているだけのことである。

新型コロナ危機と大東亜戦争

 かくして、日本史上の汚点であったところの安倍政権は、外装を変えただけで続いている。その時間的継続は実感として相当に長い。もう丸8年もの間、この国は真っ暗闇のなかで蹴躓きながらグルグル同じところを回っているようなものだ。

 8年とはどんな長さなのか。それは、日中戦争の開始(1937年7月)からポツダム宣言受諾(1945年8月)までの長さに等しい。日本にとっての第二次世界大戦は満州事変(1931年)をもって始まるとする歴史観が有力だが、戦争が引っ込みのつかない総力戦となってすべての国民の生活に影響を及ぼすようになったのは、日中戦争開戦以降である。つまり、後戻り不可能な点を踏み越え、完全な破滅に至るまでの期間に等しい時が、第二次安倍政権発足以来、流れ

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