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国民の自画像としての安倍/菅政権(下)

「安倍的なるもの」に体現された国民の精神とは何か

白井聡 京都精華大学人文学部専任講師

 「安倍一強体制=2012年体制」は、安倍抜きでも、あるいは安倍の影響力がゼロになってさえも維持されうる。そんな状況はなぜ生まれたのか。「野党の頼りなさ」「小選挙区制による党中央への権力集中」といった理由づけがさんざん語られてきたが、いずれも表層をなぞっているにすぎない。

 日本は曲がりなりにも言論の自由(政権の批判)が保たれ、公正な選挙(少なくとも選挙干渉や票のすり替えなどはない)が行なわれている国である。つまり、合法的に権力批判や政権交代が可能な国であり、選挙による審判を経ずしてこの長期政権が維持されてきたわけではない。

 したがって、帰責されるべきは結局のところ国民である。安倍晋三の超長期政権にせよ、2012年体制にせよ、それを許したのは他の誰でもなく日本国民である。逆に言えば、安倍はこの間の日本国民の感情なり願望なり精神態度にマッチした存在として君臨してきたからこそ、長期政権を維持することができた。

 ならば、問われるべきは、次の事柄である。なぜ日本国民は「安倍的なるもの」を好んできたのか。「安倍的なるもの」に体現された国民の精神は何であったのか。

国民の自画像としての安倍/菅政権

拡大参院選最終日、演説に集まった人たちに手を振る安倍氏=2016年7月9日、東京・秋葉原

 著書『安倍三代』において祖父・安倍寛、父・安倍晋太郎の足跡を徹底取材した後に安倍晋三の人間像に迫った青木理は、取材を通して浮かび上がってくる晋三の凡庸さにある種の衝撃を受けたという。

なぜこのような人物が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた〝この国のかたち〟を変えようとしているのか。これほど空疎で空虚な男が宰相となっている背後には、戦後70年を経たこの国の政治システムに大きな欠陥があるからではないのか。(青木理『安倍三代』、朝日文庫、268頁)

 安倍政権の超長期政権化を目撃し、そしてそれが単なる長期政権なのではなく、「体制」である可能性が明らかになったいま、問題はより一層深刻に提起されなければならないだろう。根本的な問題は「政治システム」にあるのではなく、戦後75年を経た日本人の精神の危機的状況にあるのではないか、ということだ。これほどに腐敗し、政治の常識を破壊し堕落させ、法治主義を崩壊させ、三権分立を踏みにじり、嘘と欺瞞の上に開き直る権力――これに対して、積極的にせよ消極的にせよ支持を与えてきた国民精神には、巨大な闇がある。

 その闇の内容について、筆者は『国体論』において、戦前天皇制国家から引き継がれた臣民メンタリティに内在する奴隷根性を指摘した。それは、近代天皇制が生んでしまった、自由への希求に対する根源的な否定の上にあるような主体性である。この主体はつねに主人を求めるが、それは責任ある決断に基づく服従ではないから、主人が没落すれば容易に見捨てる。さらには、こうした精神態度を拒否する自由人を、その存在そのものが奴隷に対する告発になるので、嫌悪し抑圧する。この論点を敷衍して言えば、安倍晋三のキャラクターは、奴隷が甘え依存する格好の対象として現れたのではないか。

 安倍は、ムッソリーニやヒトラーのようにカリスマ的指導者として熱狂的支持を取りつけたわけではなかった。同時代のドナルド・トランプと比較しても、トランプが大統領再選に失敗した後も熱狂的支持者を失っていないのに対し、いま失墜の始まった安倍を徹底擁護する者が全然見当たらないのは対照的である。昨年8月の辞意表明会見の後に跳ね上がった支持率、それを支えたはずの人々の思いはどこかへ消えてしまった。

 いま明らかになってきつつあるのは、安倍への長年の支持は真の情熱をそもそも欠いたものにすぎなかった、という事実なのだろう。「落ちた偶像」への信仰を失わず、擁護する行為は、真の情熱や精神の強靭さを必要とする。してみれば、安倍を支持するとは、徹底的に怠惰な行為であったことがわかる。それは知的に怠惰であっただけでなく、知性の基礎となる精神の構えにおける怠惰なのだ。

 怠惰だというのは、安倍が広く支持されている時代には、「安倍晋三=総理大臣=国民の代表:偉大な政治家=偉大な総理大臣=偉大な国民の代表」という定式が成り立ち、それにより「安倍を支持する一国民としての私=偉大な私」という定式が自動的に得られるからである。「私の自意識」を嵩上げするお手軽なドーピング手段として安倍支持は機能した。

 この心理は、「安倍信者」などと揶揄されるネトウヨ層において最も明白に見て取れるが、それは「極端すぎる例外的な現象」などではさらさらない。大メディアがやってきたアベノミクスに対する足並みを揃えての翼賛や「外交の安倍」などといったフレーズの連呼は、こうしたドーピングを多少の水で割ったようなものであって、ネトウヨの言説と本質的には何にも異なるところがない。

 こうしたメカニズムの作用を支えていたのは、つまるところ安倍の総理大臣という地位、それが帯びる権威と権力だった。それが失われれば、メカニズムは止まる。安倍が最高権力者から犯罪者へと転落する道行きにあるならば、彼には何の価値もないことになる。ゆえに、安倍晋三という存在は、依存の対象として消費された挙句に、いまや役立たずとして放り捨てられつつある。支持者にとって大事であったのは、「偉大な政治家としての安倍晋三」ではなく、「安倍を支持することによって確保することのできる支持者自身の心理上の利益」であった。

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筆者

白井聡

白井聡(しらい・さとし) 京都精華大学人文学部専任講師

1977年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。専攻は政治学・社会思想。著書に『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版)、『未完のレーニン――〈力〉の思想を読む』(講談社選書メチエ)、『「物質」の蜂起をめざして――レーニン、〈力〉の思想』(作品社)『国体論――菊と星条旗』(集英社新書)。共訳書に、スラヴォイ・ジジェク『イラク――ユートピアへの葬送』(河出書房新社)、監訳書にモイシェ・ポストン『時間・労働・支配――マルクス理論の新地平』(筑摩書房)。

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