阿部 藹(あべ あい) 琉球大学客員研究員
1978年生まれ。京都大学法学部卒業。2002年NHK入局。ディレクターとして大分放送局や国際放送局で番組制作を行う。夫の転勤を機に2013年にNHKを退局し、沖縄に転居。島ぐるみ会議国連部会のメンバーとして、2015年の翁長前知事の国連人権理事会での口頭声明の実現に尽力する。2017年渡英。エセックス大学大学院にて国際人権法学修士課程を修了。琉球大学客員研究員。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ソーシャルプラットフォーム上の「表現の自由」をめぐる議論
いま、ソーシャルプラットフォームによるトランプ氏への「言論の規制」について、内外での議論が広がっている。各社の対応に日本のSNS上でも「民間企業の判断で(大統領であっても)個人の言論を封じることを認めてもよいのか」「これまで差別と暴力の扇動が行われてきたのに“言論の自由”で守られてきて対応が遅かった」など、さまざまな意見が交わされている。
そして、この規制をめぐってもっとも注目された見解のひとつが、ドイツのメルケル首相によるものだろう。1月11日、メルケル氏は報道官を通して言論の自由は非常に重要な人権であり、オンライン上の扇動については、ソーシャルプラットフォームの管理者のルールに任せるのではなく、法律によって規制するべきであると述べた。
日本のメディアではこの見解をめぐって「言論の自由を重要視しツイッター社を批判」とする報道もなされたが、この発言にはもう少し複雑な背景がある。
今回のトランプ大統領のアカウント凍結は、①表現の自由とは何か、という問題と、②SNSなどのソーシャルプラットフォームにおける表現の自由を規制する主体は誰なのか?という二つの議論が関わっていると考えられる。ヨーロッパでは①はもとより、②についてもソーシャルメディア上で健全な言論の自由を確保するために「法による規制」の議論を進めてきた経緯がある。
特にドイツはナチスドイツの経験、そして近年、難民に対するネット上の差別・ヘイトスピーチが蔓延した苦い経験からソーシャルメディアなどでの人種差別表現・ヘイトスピーチについて規制する法律を作り、議論を牽引してきた。メルケル氏の発言はこの流れを受けてのものであり、単純にトランプ氏個人の表現の自由について発言したものではないだろう。
表現の自由については各国の国内法により保護される範囲や規制のあり方が異なるが、国際人権法の観点から、ドイツもアメリカもそして日本も批准し、遵守義務がある「自由権規約」と照らし合わせながら、この二つの議論を考えてみたい。