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大統領の“口をふさぐ”のは誰なのか~トランプ氏のアカウント凍結が世に問うもの

ソーシャルプラットフォーム上の「表現の自由」をめぐる議論

阿部 藹 琉球大学客員研究員

トランプ氏を “封じ込めた” SNS各社

 SNSの空間で投稿の内容に著しい問題があった時、それを規制するのは誰なのか。そしてその判断は、誰が下すのか。

 現時時間1月6日、米大統領選の投票結果を確定させるための上下両院合同会議が開かれていたワシントンの連邦議会議事堂にトランプ大統領の支持者が侵入した。暴徒化した支持者たちは議事堂内に侵入し一時占拠、消火器で頭部を殴られた警官1人を含む5人が死亡する惨事となった。

拡大米首都ワシントンの連邦議会議事堂に集まったトランプ大統領の支持者たち=ワシントン、ランハム裕子撮影、2021年1月6日

 一方、この襲撃事件の直前まで支持者たちを鼓舞していたトランプ大統領の責任に敏感に反応したのが、トランプ氏が影響力行使に活用していたSNSなどのソーシャルプラットフォームを運営する企業だった。

 米ツイッター社は、事件後に投稿された侵入した支持者たちを擁護するとも受け取れるメッセージを問題視し、アカウントを一時停止したが、さらに解除後もトランプ氏が支持者を称えたり次期大統領就任式での自らの不在を表明したりするなどの投稿を続けたため、これを「暴力の誘発も含めて人々をさらに動員するおそれがある」と判断し、1月8日、そのアカウントを永久停止とした。

 また、FacebookやYouTubeといったプラットフォームもトランプ氏のアカウントや公式チャンネルを凍結した。

 その後1月13日に、ツイッター社のジャック・ドーシーCEOは「ツイッターにとって正しい判断だったと思う」「オンライン上での発言の結果、現実に甚大な被害が生じた」と投稿し凍結は適切だったという認識を示す一方で、「凍結は健全な議論を促せなかった我々の失敗だ」と苦しい胸の内も吐露している。

世界で広がる「SNSでの表現の自由」の議論

 いま、ソーシャルプラットフォームによるトランプ氏への「言論の規制」について、内外での議論が広がっている。各社の対応に日本のSNS上でも「民間企業の判断で(大統領であっても)個人の言論を封じることを認めてもよいのか」「これまで差別と暴力の扇動が行われてきたのに“言論の自由”で守られてきて対応が遅かった」など、さまざまな意見が交わされている。

 そして、この規制をめぐってもっとも注目された見解のひとつが、ドイツのメルケル首相によるものだろう。1月11日、メルケル氏は報道官を通して言論の自由は非常に重要な人権であり、オンライン上の扇動については、ソーシャルプラットフォームの管理者のルールに任せるのではなく、法律によって規制するべきであると述べた。

言葉を交わすトランプ米大統領(右)とメルケル独首相=2018年6月8日、カナダ・シャルルボワ

 日本のメディアではこの見解をめぐって「言論の自由を重要視しツイッター社を批判」とする報道もなされたが、この発言にはもう少し複雑な背景がある。

 今回のトランプ大統領のアカウント凍結は、①表現の自由とは何か、という問題と、②SNSなどのソーシャルプラットフォームにおける表現の自由を規制する主体は誰なのか?という二つの議論が関わっていると考えられる。ヨーロッパでは①はもとより、②についてもソーシャルメディア上で健全な言論の自由を確保するために「法による規制」の議論を進めてきた経緯がある。

 特にドイツはナチスドイツの経験、そして近年、難民に対するネット上の差別・ヘイトスピーチが蔓延した苦い経験からソーシャルメディアなどでの人種差別表現・ヘイトスピーチについて規制する法律を作り、議論を牽引してきた。メルケル氏の発言はこの流れを受けてのものであり、単純にトランプ氏個人の表現の自由について発言したものではないだろう。

 表現の自由については各国の国内法により保護される範囲や規制のあり方が異なるが、国際人権法の観点から、ドイツもアメリカもそして日本も批准し、遵守義務がある「自由権規約」と照らし合わせながら、この二つの議論を考えてみたい。

表現の自由とは何か

 表現の自由は「民主的社会の存在そのものを支える礎石」(Inter-American Court of Human Rights Advisory Opinion (1985))とも表現されるように、参加型民主主義が機能するためには欠かせない基本的権利である。自由権規約19条は、すべての者は表現の自由についての権利を有し、この権利は「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け、及び伝える自由を含む」としている。

 元々表現の自由を含む自由権は、国家権力の介入からの自由を意味していた。1930年代に全体主義国家によって未曾有の人権侵害が行われた反省に立ち、それまで各国の専権事項であった人権について、その保護を各国政府に任せるのではなく、国際的な条約に基づいて行おうとして生まれたのが国際人権法だ。

 自由権規約もその一つであり、19条は、国家権力による不当な介入を受けることなく個人が表現の自由を行使できることを規定しており、そのために19条が保障する表現の幅は広範で、政府の方針に反する意見であっても守られなければならないとされている。

 しかしそもそも自由権規約は差別を禁止している上、20条で「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」とあり、これらの表現が19条で保護される表現に当たるとは考えにくい。

 またトランプ氏は合衆国大統領としてツイッターで発言をしてきたことから、公人中の公人、しかもアメリカという国の国家権力をその手にもつ人として発言をしてきたわけである。国際人権法は国家権力による個人の人権侵害を防止することを念頭に置いており、公人による差別的な言動、暴力の扇動は表現の自由の保護の対象に当たらないだろう。

ソーシャルプラットフォームにおける表現の自由は誰が守るのか?

 今回のトランプ大統領のアカウント凍結は、国家による規制ではなく、ソーシャルプラットフォームを運営する民間企業のルールに違反したとして民間企業の判断で行われた。これは、個人の表現の自由という問題とは別に、「ソーシャルプラットフォームにおける表現の自由は誰が守るのか?」という問題を提起している。

 ヨーロッパ諸国は早くから、ソーシャルプラットホームという公共性のある空間が民主手続きに基づかず、民間企業の判断によって恣意的に規制される危険性、また規制されずに差別や暴力が扇動されうる危険性について懸念し、取り組みを始めている。中でもドイツはナチスドイツの苦い経験、また2015年以降大量に受け入れた難民やその支援者に対するヘイトスピーチが急増した経験から2017年に「ソーシャルネットワークにおける法執行の改善に関する法律」(ネットワーク執行法)を制定した。

 この法律は一定のソーシャルネットワーク事業者に対し、ドイツの刑法で違法と思われる内容について24時間報告できる専用サイトの設置を義務付け、さらに明らかに違法のものは24時間以内に削除することなどを義務付けた。ドイツ刑法で違法とされているのは民衆扇動、人種憎悪挑発などだ。適切な対応を怠った場合は過料を課せられる。

 かなり厳しい内容で、制定過程では反対意見も噴出したというが、刑法で禁じられている言動をSNS上でも同様に禁止できるようにするという覚悟、そして民間企業に対する規制はあくまでも国際人権法が求める通り「法律に則って」行うという覚悟を感じる肝が座った対応だ。

 自由権規約では、表現の自由について国が一定の制限を課すことが認められている。しかしその制限は必要最小限かつ「法律に則って」行わなければならないと定めている。これは国家によって表現の自由が「恣意的」に制限されることを防止するためだ。

 そうした議論を積み重ねてきたドイツから見ると、合衆国憲法修正第1条に基づき表現の自由を広く保障してきた伝統があるとは言え、民間の事業者への規制が不十分で、結果として差別表現やヘイトの蔓延だけでなく、民間事業者による恣意的とも言える規制を許してしまったともいえる今回の事態は、まさに「problematic=問題がある」と映るのだろう。

 一方で、表現の自由を重視してきたアメリカの専門家の中には、法律によるネットの言論空間への規制に懐疑的な見方もある。

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