メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

トランプ氏アカウント凍結~民主主義は民主主義を否定するものに厳格であれ

Big Tech・ツイッター社による今回の対応は言論の自由の制限なのか?

米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士

 2020年11月の大統領選挙以来、選挙に不正があったという根拠のない主張を繰り返していたトランプ米大統領が2021年1月6日、ホワイトハウス前に集まった支持者に対して、「大統領選の結果に抗議するため議事堂まで行進しよう」と呼びかけ、暴徒化した群衆が上下両院で選挙人投票の結果を認定する手続きを行っていた連邦議会議事堂に侵入した事件を契機として、1月8日、トランプ氏が多用していたSNSである「ツイッター」を運営する米ツイッター社が、「暴力行為をさらに扇動する恐れがある」として、トランプ氏の個人アカウントを永久凍結したと発表しました。

 さらにツイッターの代替として多くのトランプ支持者が活用するソーシャルメディア・アプリ「Parler(パーラー)」について、グーグル社が8日、アップル社が9日、それぞれ自社のアプリ・ストアで凍結・削除したほか、アマゾン社がホスティング・サービスのサービス提供を停止するなど、アメリカ全土で、「トランプ氏とトランプ氏支持者のSNSからの締め出し」が広がっています。

2021年1月8日午後(日本時間9日午前)に凍結されたトランプ米大統領のツイッターアカウント=ツイッターの画面から

ツイッター社の決定をめぐり様々な議論が

 これに対して、アメリカ国内において、賛成する意見とともに、Big Tech(巨大技術企業)が事実上、言論の自由を制限するとも考えられる状況に反対する議論がなされています(参照)。また、この4年間、トランプ氏と鋭く対立してきたドイツのメルケル首相が「トランプ氏のツイッターのアカウント凍結については、その方法について留保する。言論の自由の制限は、私企業ではなく立法者によってなされるべきだ」として、凍結それ自体についてではなく、その凍結方法について異議を唱える意見を表明しました(参照)。

 日本でも、ツイッター社の決定を支持する意見が多数みられる一方で(参照)、国際政治学者の三浦瑠麗氏が「トランプSNS永久追放は『トランプ的なもの』を深刻な形で強化する」という記事(参照)を寄稿するなど、主に「保守派」と見られる論者から「トランプ氏のツイッターのアカウントの締結それ自体が、言論の自由の制限であり許されない」とする主張がなされるなど、議論が盛り上がっています。そこで本稿では、この問題について論じたいと思います。

民主主義に危機をもたらした“扇動演説”

 まず大前提として、1月6日にトランプ大統領の支持者達が、トランプ氏の集会での氏の“煽動演説”をきっかけに、大統領選挙の結果を正式に確認する審議を上下院で行っていたアメリカ連邦議会議事堂に大挙して押し寄せ、議事堂内に不法侵入して、議事を中断させ、内部を荒らしまわった今回の事件は、それ自体許されない暴力の行使であると同時に、アメリカ、ひいては世界の民主主義に重大な危機をもたらすものだったと言えます。

 民主主義を支える要素は、本稿の主題である言論の自由や人権の尊重など様々にありますが、なかでも「選挙によって平和的に政権交代がなされる」ことは、その根幹と言ってもいいものです。これがあるからこそ、権力者は国民の言論の自由や人権を守るのであり、これが否定されるなら、権力者は容易に独裁者となり、言論の自由や人権をはじめとする、民主主義のすべてが成立しなくなってしまうからです。

 現場の証言等から徐々に明らかになっている暴動の経過や状況を見ると、トランプ氏は明らかに一定の意図をもって暴動を示唆・煽動しており非常に重い責任があります(参照参照)。また、そもそも事がここに至ったのは、トランプ氏が何ら根拠を示すことなくSNS、特にツイッター上で「選挙が盗まれた」という主張を続けてきた(参照)ためです。規制の是非はひとまずおくとしても、トランプ氏のツイッターでの発言自体が到底適切なものとは言えなかった(というより、むしろ明白に不適切ないものであった)ことは明らかだと言えます。

1月6日、米首都ワシントンの連邦議事堂に集まったトランプ大統領の支持者たち=2021年1月6日、ランハム裕子撮影

アカウント凍結に法的な問題はない

 では、その様な民主主義を脅かす暴動に繋がったトランプ氏のツイッターアカウントを、私企業であるツイッター社が凍結することは適切でしょうか? 上述の通り、この措置については、言論の自由の観点から議論が巻き起こっていますが、原則論から言えば、私企業であるツイッター社が、トランプ氏に対して自社の無料サービスを提供するか否かを決めただけであり、法的な問題点を見いだすことは困難だと言えます。

 それどころか、こういったSNSサービスにおいて、常にすべての人に発信の機会が提供されなければならないのであれば、SNSサービスを提供する会社の言論の自由・営業の自由が大きく阻害されることになります。

 このことは、たとえば「参加者は阪神ファンに限る」という規約を掲げて「阪神ファンSNS」を運営している会社があったとして、そこに「私は阪神ファンだが、やはり日本人にとって野球は巨人。巨人が優勝してこそプロ野球は盛り上がる。巨人ファン以外はプロ野球ファンじゃありません」と強硬に主張する人が入ってきた時、そのアカウントを凍結する自由はあってしかるべきであることからも、明らかでしょう。

 すなわち、個人にとっての言論の自由が、「何かを言う自由」だけでなく「何かを言わない(言う事を強制されない)自由」が含まれるように、企業(集団)にとっての言論の自由は、「企業(集団)、そしてそのメンバーが何かを言う自由」であると同時に、「企業(集団)、そしてそのメンバーが何かを言わない(言うことを制限する)自由」を含むのです。

 そして、上記の巨人ファンの人は、「阪神ファンSNS」のアカウントを凍結されたからと言って、それ以外の様々な場所、「巨人ファンSNS」なり「プロ野球SNS」なりで、自分の主張をすればいいのであり、一企業のSNSのアカウントが凍結されたからと言って、その個人に対する「直接的な言論の自由の侵害」にはならないと考えられます。

 このことは、「SNS」ではなく「マスメディア」について考えれば、より鮮明になります。「SNSは全ての人に開かれていなければならない」ということが“一般的原理”であるなら、同じ理屈でマスメディアでもすべての人が同じように発言できなければいけないことになりますが、そんなことは現在行われていません。マスメディアで発信できる人が少数に限られ、自分には発信する機会を与えられていないからと言って、自らの「言論の自由」が直接的に侵害されていると考える人は稀です。

 すなわち、「言論の自由」というものは本来、「言論の発信を妨害されない自由」であって「言論の発信の場や手段が提供される保証」ではなく、それゆえツイッター社によるアカウントの凍結を法的問題である「直接的な言論の自由の侵害」と考えるのは、論理的に難しいということになります。

kovop58/shutterstock.com

個人の言論の自由と企業の言論の自由

 とはいえ、事実上市場独占をしている巨大SNS企業が、個人のアカウントを管理、凍結するかどうかを恣意的に決められることが社会的に望ましいかというと、それはそうではありません。

 先程の例の逆で、たとえばツイッター社が自らの「言論の自由」を行使して、突如規約を変更し、「今すぐ阪神ファンであることを誓わなければ、規約違反でアカウントを凍結する」と言ったら、多くの人が困惑するでしょう。それは巨大SNS企業が個人のアカウントを凍結し、発言の場を奪うことが、実質的にその人の「言論の発信を妨害する」ことに繋がるからです。

ドイツのメルケル首相
 メルケル氏の問題提起は、恐らくこの点にあります。言い方を変えればこれは、
・・・ログインして読む
(残り:約2693文字/本文:約5938文字)