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半藤一利さんの「遺言」――記者に語った「歴史から何も学ばぬ日本人」

己を責め、死にまさる苦しみを背負いながら、追い求めた「事実」の重み

伊藤千尋 国際ジャーナリスト

拡大共謀罪法案を巡る安倍内閣の動きに「戦前と違うとは思わない」と語った半藤一利さん=2017年4月13日、東京都世田谷区

8月15日に焦点。軍部や政府の「中枢」に集中取材

──8月15日に焦点を当てた、そもそものきっかけは何だったのでしょうか?

 『文藝春秋』の編集部員だったとき、社内で「太平洋戦争を勉強する会」を主宰していました。8月15日に戦争続行を望む陸軍将校らが近衛第一師団長を殺害し皇居を占拠したうえ、玉音放送が録音されたレコード盤を奪おうとした「宮城事件」の実像を知ろうと、1963年に関係者を集めて座談会をしたんです。

 「日本のいちばん長い日」というタイトルで、集まったのは28人。当時の政府や軍部の中枢にいた人々です。作家の大岡昇平さんもいました。

(具体的には、現在の官房長官に当たる内閣書記官長や首相秘書官、外交を担う外務次官や駐ソ大使、さらに陸海軍の作戦を立案した軍人たちや終戦の日に玉音放送を録音したレコード盤を反乱軍から守ったNHKの職員らもいた)

拡大玉音放送が録音された「玉音盤」(左下)や、昭和天皇が自身の玉音放送を聴いたラジオなどの資料=2010年8月4日、東京都港区のNHK放送博物館

針路を決める人々さえ「何も知らない」

──その結果、何がわかりましたか?

 日本の決定を下す立場にいる重要な人々でさえ、なんにも知らないのだということです。断片的な身近なことは知っていても、その日に何が起きたのか、見えていた人はいなかった。

 日本人は何も知らない。今のうちに残しておかなければ、ここにいる人たちはみんな間もなく死んでしまうと思い、この日に焦点を当ててあらためて取材を始めました。

「何にも知らない」という言葉を、半藤さんは繰り返した。日本の針路を決める第一線の人々でさえ、戦後から18年たっても真実を知らなかったのだ。そのショックが半藤さんの取材のエネルギーになったのだ。


筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) 国際ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。「九条の会」世話人。主著に『心の歌よ!』(シリーズⅠ~Ⅲ)『連帯の時代-コロナ禍と格差社会からの再生』『凛凛チャップリン』『凛とした小国』(以上、新日本出版社)、『世界を変えた勇気―自由と抵抗51の物語』(あおぞら書房)、『13歳からのジャーナリスト』(かもがわ出版)、『反米大陸』(集英社新書)、『燃える中南米』(岩波新書)など。公式HPはhttps://www.itochihiro.com/

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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