メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

半藤一利さんの「遺言」――記者に語った「歴史から何も学ばぬ日本人」

己を責め、死にまさる苦しみを背負いながら、追い求めた「事実」の重み

伊藤千尋 国際ジャーナリスト

拡大自宅の書庫には、一族から受け継いだ夏目漱石に関する本などがずらりと並んでいた=2014年10月1日、東京都世田谷区

事実の追求。「史上最大の作戦」原作の手法がヒントに

──「日本のいちばん長い日」というタイトルは、どこから考えついたのですか?

 当時、第二次世界大戦における連合国軍のノルマンディー上陸作戦を描いたアメリカ映画「史上最大の作戦」がはやっていました。原作はアメリカのジャーナリスト、コーネリアス・ライアンのノンフィクション「The Longest Day(いちばん長い日)」です。ドイツのロンメル将軍が「我々にとっても連合軍にとっても、今日がいちばん長い日になるだろう」という言葉から生まれたと言われます。ここからとりました。

 ライアンは同時刻にいろいろな場所で起きていることを連ねて事実を浮き上がらせました。あの手法でできるはずだと思いました。

 それから半年かけて関係者約80人にインタビューを重ねました。私のほか3人にも協力してもらいました。会社に話すと、「書きあがったら出版してやってもいいが、お前の名前じゃだめだ。大宅さんの名を借りよう」と言われ、評論家の大宅壮一氏の編集ということで出版されました。

本質はクーデターだった宮城事件

拡大宮城事件から25年を経た近衛師団司令部。森赳近衛師団長が反乱将校に射殺された師団長室は、天井が落ち床は破れ、赤レンガの建物は廃墟のままだった=1970年8月14日撮影
 「宮城事件」は、最初は「録音盤奪取事件」と言われていました。しかし、単なる奪取ではない。本質はクーデターなんだとわかりました。

 今のままの理解なら後世を誤らせると私は思ったのです。彼ら軍人は「天皇を替えればいい」という発想で、皇太子の身を奪おうともしました。ほかにもいろいろ知られていないことが多い。

 あのとき何が仕組まれたのか、本当のところはわかっていません。

──出版から2年後の1967年に岡本喜八監督によって映画化されました。

 制作のさいに岡本監督から事細かく質問されました。「本には『連隊長殿』と書いてあるが、名を呼ぶとき軍人はいちいち『殿』をつけるのか」「宮城の守備兵の小屋の大きさは」などです。

 終戦の時、私は15歳ですよ。軍隊用語など知るわけがない。

・・・ログインして読む
(残り:約3158文字/本文:約5353文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) 国際ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。「九条の会」世話人。主著に『心の歌よ!』(シリーズⅠ~Ⅲ)『連帯の時代-コロナ禍と格差社会からの再生』『凛凛チャップリン』『凛とした小国』(以上、新日本出版社)、『世界を変えた勇気―自由と抵抗51の物語』(あおぞら書房)、『13歳からのジャーナリスト』(かもがわ出版)、『反米大陸』(集英社新書)、『燃える中南米』(岩波新書)など。公式HPはhttps://www.itochihiro.com/

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

伊藤千尋の記事

もっと見る