2021年01月22日
ジョー・バイデン政権下での米国外交がどう展開されるかを占うために、この欄に「バイデン政権下の覇権争奪を占う」(仮題)という論考を近く掲載しようと考えている。その考察過程で、世界全体にかかわる今後の覇権争奪を構想するに際して、まずは米国内の状況をしっかりと把握する必要があることを痛感した。1月6日に起きた米議会議事堂襲撃事件のためである。この事件を解読し、いまの米国のあり様をどうみるかという視角を明確にしなければ、今後の世界を予測できないと感じたのである。
おしりも、愛読しているロシア語雑誌『エクスペルト』に、「アメリカのユートピア:アメリカの政治的危機はどうなるのか」と題された記事が掲載された。ジャーナリストのチホン・シソエフが書いた興味深いものであったので、この記事に触発されるかたちで今回の考察につなげてみた。そこでのキーワードは「ユートピア」である。
まず、米国のいまを理解するには、その建国の歴史を知らなければならない。この際、文学者濱田政二郎著「アメリカのユートピア文学:アメリカにおける理想郷探求の諸相とその文学への反映」にあるつぎの一文が参考になる。
「アメリカの歴史とユートピア思想の結びつきは、ルネサンス時代に海外発展の機運が高まり、ヨーロッパの現状にあきたらぬ人々に、アメリカを自由と平等の楽土と思わせたところに始まる」というのがそれである。さらに、「初期に北部沿岸についた植民については、宗教的動機は顕著であった」とも指摘されている。イギリスの国教に反対したセパラチスト(国教からの分離派)が信仰の自由にあこがれて1620年に上陸したわけだ。
この宗教観は、大統領就任式における宣誓に際して、宣誓者が左手を配偶者などが持ち支える聖書の上に置きながら宣誓し、最後に、「So help me God」(神よ照覧あれ)と結ぶ慣例に残されている。そうであるならば、いまでも息づく米国国民を取り巻く宗教観と結びついているユートピア思想なるものについて知ることが必要になるだろう。
筆者は、拙著『ロシア革命100年の教訓』(Kindle版)のなかで、「ユートピア思想の系譜」という節を設けて、この問題について論じたことがある。その節全体を紹介してみよう。
ロシア革命は社会主義や共産主義の世界の実現というユートピアを求めた闘争であったのだろうか。ここでは、ユートピア思想そのものを探るなかで、ロシア革命に潜む問題点を掘り起こしたい。
トマス・モアの『ユートピア』として知られる作品は、日本では誤解されている。なぜならエンゲルスが『反デューリング論』の一部をフランス国民向けにフランス語訳して出版され、その後、ドイツ語のDie Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaftという原題の「ユートピアから科学への社会主義の発展」も出版された。日本では、堺利彦が英語版から重訳し、1906年、『社会主義研究』のなかで「科学的社会主義」という表題で紹介された。このなかで、ユートピアという字句に「空想」という言葉を冠したのである(武田[武田光史「ユートピアは空想か?:共産主義批判」『中国短期大学紀要』:引用者注], 1981, p. 26)。
しかし、「ユートピア」という言葉に注目すると、Utopiaは、ギリシャ語の否定辞ού(ou, 無)とτόπος(topos, 場所)とを組み合わせた造語で、存在しない場所を意味している。同時に、εύ τόπος(eu topos)、すなわち「幸福な場所」、「楽園」という意味をあわせもっていた。重要なことは、テキスト自体はその国の存在を主張しているのだが、当の国の命名や作品の題はその存在を否定している点である。それどころか、その国を見てきた航海者ラファエル・ヒュトロダエウス(Hythlodaeus)の名前のなかに「法螺」「熟達した」という意味が含まれており、「法螺話の大家」くらいの意味が暗示されている。そう考えると、「ユートピア」を「空想」と訳したのでは、法螺話のおかしさやユーモアが抜け落ちてしまうように思われる。
『ユートピア』は、アメリゴ・ヴェスプッチの新大陸探検に加わった架空の人物であるヒュトロダエウスが見聞した架空の新世界の諸国、とくにユートピアについて、彼と文中のモアとペーター・ヒレスがヨーロッパ社会と比較しながら語り合うという鼎談形式をとっており、その構成は二部に分かれ、第一巻は当時のヨーロッパ社会、第二巻はユートピア社会の記述からなる。このようにして現実のキリスト教社会と架空の異教徒のユートピア社会とを比較することで、前者の悪弊を摘発し、その改革を当時の知識人、政府の高官に訴えたものであった(菊池[菊池理夫『ユートピア学の再構築のために:「リーマン・ショック」と「三・一一」を契機として』風行社:引用者注], 2013, p. 83)。
拙著では、もう一つの節「「労働からの解放」に潜む問題点」においても、若干、ユートピアについてふれた。米国の考察には直接関係するわけではないが、理解を深めてもらうために紹介しておこう。
そもそもマルクスらは「労働からの解放」を理想とした。それは、『ドイツ・イデオロギー』における、つぎのようなマルクスの記述に端的に現れ
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