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半藤一利さん・坂野潤治さんが語った二つのリーダー像と日本政治の窮状

相次いで逝った二人の泰斗が憂えたものは……

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

リーダーが注意するべき六つの教訓

 まず、小泉純一郎政権下の2003年5月に行われた半藤さんの講話から。表題は「日本のリーダーシップについて」とあり、全篇これ半藤節全開といった趣である。「極秘明治三十七八年海戦史」の資料発掘を巡る挿話から、その語りは始まる。

 日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った後、海軍は「公表してはまずいところを正史から省い」て「明治三十七八年海戦史」を公刊した。だが、宮中に一部だけ「極秘」の正史が残っており、元号が昭和から平成にかわるころ、歴史の参考文献として、宮内庁から防衛庁戦史室に戻された。「私たちが飛んでいって見たら、新しい事実が飛び出してきた」という。

 極秘の正史には、バルチック艦隊の接近ルートを巡って、東郷平八郎司令長官をはじめ連合艦隊司令部が「大もめにもめた」経緯が生々しく記述されていた。つまり、公刊文書が描き、軍部の思想・教育を長く規定した「泰然自若とか、動かざること山のごとしとか」といった東郷司令官のリーダーシップは、「つくられた日本的リーダー像」に過ぎないと喝破する。

 そのうえで半藤さんは、「280万から300万人もの人が亡くなった太平洋戦争から、何か現代に生きる我々のための教訓を引っ張り出すことは出来ないだろうか」と言い、「注意した方がいい」と思うリーダーシップ上の教訓を、次のように六つ列挙する。

①日本の指導者は、とにかく自分で決断しなければならない。
②明確な目標を常に部下に与えよ。
③指揮官はここにあり、と焦点の位置に立て。
④情報は確実に自分の耳で聞け。
⑤規格化された理論にすがるな。
⑥部下に最大限の任務の遂行を求めよ。

 とりわけ、②の「明確な目標」の指示について半藤さんは、真珠湾攻撃を成功させた山本五十六連合艦隊司令長官に言及し、攻撃が成功すれば「直ちに講和をもちかける」と構想した真意を、山本が誰にも明かしていなかったことを悔やむ。緒戦の華々しい勝利が、皮肉にも長期の国家総力戦と敗戦につながったという歴史が明白だからだろう。

拡大Jirsak/shutterstock.com

菅首相の指導力・発進力への警鐘

 いま、こうして六つの教訓を読めば、今日のコロナ危機に当てはまることに驚かされる。菅義偉首相の指導力や発信力に対する、まぎれもない警鐘である。

 ①③④⑤をまとめれば、指導者自らが耳に痛い情報を進んで聞き、常に最終責任を負うべき決断の場所に身を置き、危機の状況変化に応じて対応策を機敏に変える必要性を示している。緊急事態再宣言が遅れ、あるいは「Go To キャンペーン」への固執が世論の反発を生んで来た経緯を見れば、わけても「規格化された理論」の恐ろしさを感じる。

 人事をテコにして霞が関を縛る「官邸一強」だけでは、このコロナ危機は凌(しの)げない。②⑥が求める「明確な目標」と「最大限の任務遂行」を自覚する「部下」は、現在のいわゆる「官邸官僚」とは似て非なるものであり、閉塞的な統治システムからは生まれて来ないに違いない。

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筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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