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半藤一利さん・坂野潤治さんが語った二つのリーダー像と日本政治の窮状

相次いで逝った二人の泰斗が憂えたものは……

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

 コロナ禍再燃を受けて緊急事態が再宣言された直後の1月12日、半藤一利さんが亡くなった。

 享年90の大往生とはいえ、菅義偉政権の危機対応不全が際立つ最中の訃報(ふほう)である。あの“半藤節”をもっと聞きたかったと思うのは、おそらく筆者だけではあるまい。

半藤一利さん=2017年9月
坂野潤治さん=2012年6月16日

「歴史探偵」半藤さん、在野の口吻を感じさせる坂野さん

 雑誌の黄金時代における文藝春秋社の伝説的な編集者であり、緻密(ちみつ)な資料分析で知られる在野の歴史研究家であり、洒脱(しゃだつ)な文章で唸(うな)らせる名エッセイストであった半藤さん。だが、一番ふさわしい呼び名は、やはり「歴史探偵」だと思う。

 二度映画化された名著『日本のいちばん長い日』(文藝春秋社)がその典型だが、戦前戦中の軍国主義をはじめ、日本の近現代史の暗部を探り続けたのも、ただ過去の権力の「犯人」を特定するだけでなく、現在と未来の権力が同じ愚行を繰り返さぬよう、つまりは「再犯」を防止したいがための、探偵としての地道な調査だったに違いない。

 奇(く)しくもわずか3ヶ月前に、歴史研究家の坂野潤治さんの訃報(10月14日死去、享年83)に接したばかりである。明治憲法体制の構築から政党政治の終焉(しゅうえん)まで、精力的な資料の発掘と挑戦的な仮説の提起を続けた坂野さんだが、その根底には一貫して、なぜ立憲的な明治憲法を有しながら、日本の近現代の民主主義が平和と格差是正を政治的果実として残せなかったのか、という強烈な問題意識があった。

 安倍晋三前政権に対する舌鋒鋭い批判はその延長線上にあり、その意味では、東大名誉教授という表の肩書きには似つかわしくない、在野の口吻(こうふん)を感じさせる人だった。

響き合う二人の講演

 そんな二人だから、どこかで対談してはいないか――。そんな予感に誘われて、ネットで検索したところ、不思議と響き合う講演集を見つけた。

 それは、二人が別々の時期に、学士会の会合で語った講演である(学士会のホームページのアーカイブスで引ける)。ともに東大文学部の出身とはいえ、旧帝大の大学の卒業生でつくる同窓会組織での講演とは少し予想外だったが、中身を読んで得心した。エリートに厳しく自省を迫る内容であり、しかもまるで役割分担をしたかのように、それぞれ権力者とその対抗者に対する警鐘となっていたからである。

 以下、時系列にそって、二人の講演を紹介しよう。

リーダーが注意するべき六つの教訓

 まず、小泉純一郎政権下の2003年5月に行われた半藤さんの講話から。表題は「日本のリーダーシップについて」とあり、全篇これ半藤節全開といった趣である。「極秘明治三十七八年海戦史」の資料発掘を巡る挿話から、その語りは始まる。

 日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った後、海軍は「公表してはまずいところを正史から省い」て「明治三十七八年海戦史」を公刊した。だが、宮中に一部だけ「極秘」の正史が残っており、元号が昭和から平成にかわるころ、歴史の参考文献として、宮内庁から防衛庁戦史室に戻された。「私たちが飛んでいって見たら、新しい事実が飛び出してきた」という。

 極秘の正史には、バルチック艦隊の接近ルートを巡って、東郷平八郎司令長官をはじめ連合艦隊司令部が「大もめにもめた」経緯が生々しく記述されていた。つまり、公刊文書が描き、軍部の思想・教育を長く規定した「泰然自若とか、動かざること山のごとしとか」といった東郷司令官のリーダーシップは、「つくられた日本的リーダー像」に過ぎないと喝破する。

 そのうえで半藤さんは、「280万から300万人もの人が亡くなった太平洋戦争から、何か現代に生きる我々のための教訓を引っ張り出すことは出来ないだろうか」と言い、「注意した方がいい」と思うリーダーシップ上の教訓を、次のように六つ列挙する。

①日本の指導者は、とにかく自分で決断しなければならない。
②明確な目標を常に部下に与えよ。
③指揮官はここにあり、と焦点の位置に立て。
④情報は確実に自分の耳で聞け。
⑤規格化された理論にすがるな。
⑥部下に最大限の任務の遂行を求めよ。

 とりわけ、②の「明確な目標」の指示について半藤さんは、真珠湾攻撃を成功させた山本五十六連合艦隊司令長官に言及し、攻撃が成功すれば「直ちに講和をもちかける」と構想した真意を、山本が誰にも明かしていなかったことを悔やむ。緒戦の華々しい勝利が、皮肉にも長期の国家総力戦と敗戦につながったという歴史が明白だからだろう。

Jirsak/shutterstock.com

菅首相の指導力・発進力への警鐘

 いま、こうして六つの教訓を読めば、今日のコロナ危機に当てはまることに驚かされる。菅義偉首相の指導力や発信力に対する、まぎれもない警鐘である。

 ①③④⑤をまとめれば、指導者自らが耳に痛い情報を進んで聞き、常に最終責任を負うべき決断の場所に身を置き、危機の状況変化に応じて対応策を機敏に変える必要性を示している。緊急事態再宣言が遅れ、あるいは「Go To キャンペーン」への固執が世論の反発を生んで来た経緯を見れば、わけても「規格化された理論」の恐ろしさを感じる。

 人事をテコにして霞が関を縛る「官邸一強」だけでは、このコロナ危機は凌(しの)げない。②⑥が求める「明確な目標」と「最大限の任務遂行」を自覚する「部下」は、現在のいわゆる「官邸官僚」とは似て非なるものであり、閉塞的な統治システムからは生まれて来ないに違いない。

野党に転落した民主党政権を念頭に

 他方、安倍晋三政権下の2014年3月に行われ、「西郷隆盛にみる対抗(カウンター)エリートの質(クォリティ)」と題された坂野さんの講話は、目的が語り出しに明白である。それは講話の2年前に野党に転落した民主党政権のことだ。

 「考え始めたきっかけは、三年半で終わった民主党政権のあまりのお粗末さでした。現代日本では対抗エリートがしっかり育っていなかったことを目の当たりにし、愕然としました」と語る坂野さん。

 さすれば、明治維新前後の大変革期に政治構想を大きく飛躍させた西郷に着目するのは、日本の近現代史の中で実際に「対抗エリート」が生まれた背景と、とりわけ資質面での条件を、教訓として示すためだったのだろう。

西郷隆盛像  KuyaImage/shutterstock.com

「対抗エリート」に不可欠な五つの資質

 西郷という対抗エリートが幕末の薩摩藩に登場した背景には、①西郷が薩摩藩主、島津斉彬の使い番になった、②時代がちょうど「攘夷から幕政改革への転換期」にあたっていた、③薩摩藩に固有の家臣団の平等性があった、があったとしたうえで、だが「いくら環境が整っていても、質の劣った指導者でそれを活かせません」と断じ、資質の条件として、①識見②英雄肌合③義理固さ④粘着力⑤構想力――の五点を挙げる。

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