「ジャスミン革命」から10年のチュニジア、再び若者のデモが拡大
[20]高い失業率、コロナ禍による経済危機で「体制変革」の声
川上泰徳 中東ジャーナリスト
地域間の医療格差と所得格差
だが第1波が過ぎた後、経済活動の再開のために、移動規制や空港などの封鎖を解除した後、陽性者が増加し第2波の急増につながった。その要因としては、「医療が充実している海岸地域と遅れている南部の内陸地域の医療体制の格差、特に特殊医療に差がある」としている。
英国の人道支援組織「オクスファム」(OXFAM)のリポートによると、2019年の南部タタウイヌ県の失業率は28.7%で、北東部の海岸地帯にあるモナスティル県の失業率9.1%の3倍以上だった。医療インフラも首都のチュニスは1万人あたり集中治療室(ICU)が10.2床あるのに対して、タタウイヌ県、ガフサ県、シディブシド県など13県には集中治療室がなかったという。
チュニジアは富裕層の10%が国民所得の40%を占め、貧しい層の半分は国民所得の18%を占めるだけだという。富裕層は首都チュニスや北部、東部の海岸沿いに多く、南部・内陸部は貧困層が多いということになる。

富裕層が多く暮らすチュニジアの首都チュニス Zabotnova Inna/Shutterstock.com
集中治療室がない県として名前が挙がったシディブシド県は、「アラブの春」の発祥地として知られる。2010年12月中旬、荷車に野菜を乗せて路上で売っていた26歳の若者が、警官に販売を妨害されて、抗議の焼身自殺をした。このことをきっかけに若者たちのデモが始まり、それが首都チュニスに波及して、強権支配が崩壊した。
中東のほとんどの国の年齢中央値が20代で、20代、30代以下が人口の半数を占める。若者の失業率の高さが大規模なデモを引き起こし、チュニジアは民主化されたが、経済改革は進まず、失業率は高いままだ。
国際労働機関(ILO)の資料によると、「アラブの春」前年の2010年、チュニジアの平均失業率は13%で、若年層(15歳-24歳)は29%だった。革命の年の2011年の失業率はそれぞれ18%、43%と跳ね上がったが、その後、2014年に平均15%、若年層は34%まで下がった。しかし、その後じわじわと上がり、2019年は同16%、36%となった。
経済が改善しないまま2020年にコロナ禍が始まった。
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