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トランプ現象はトランプ後も存在し続ける

アメリカが「アメリカならざるもの」に変容していくことに対する抵抗運動

中山俊宏 慶應義塾大学総合政策学部教授、日本国際問題研究所上席客員研究員

 2020年11月の米国大統領選挙でジョー・バイデン候補は、史上最多の8100万票を獲得した。しかし、民主党の中で大統領候補選びが始まったころ、バイデン・キャンペーンに何が欠けているかと問われれば、それは「熱気」だと誰もが答えたことだろう。なぜ、そのバイデン候補が史上最多の8100万票を獲得したのだろうか。

 いうまでもなく、それは「あと4年、トランプじゃまずい」という感覚だろう。史上最多の票数を獲得しながらも、それは熱気のない奇妙な歴史的記録だった。

バイデンが体現した「平板さ」の意味

大統領就任式で演説するバイデン氏=2020年1月20日、ワシントン

 しかし、就任式の日の雰囲気は少し違っていた。バイデンが、突然高邁な演説をしたというわけではない。就任演説はよく書けてはいたものの、良くも悪くも平板な演説だった。

 しかし、その「平板さ」の意味が、1月6日のMAGA反乱(連邦議会選挙事件)をもって大きく変わっていた。11月3日には、トランプ政権を終わらせるというネガティブな動機で投票し、なぜバイデンでなければならないのかという理由を模索していた人たちも、1月6日の事件で、自分たちがバイデンに一票を投じた意味について改めて気づかされ、それが基本的に正しい選択であったと感じるに至っていた。

 そのため、バイデンという人が体現する「平板さ」が、過去4年の喧騒を収束させ、平常に復帰しつつあるという感覚を醸成し、そのことをもって改めて過去4年間がいかに異常な状態であったかということを人々に認識せしめ、そのことに安堵しつつ、人々の心を動かしていた。それは不思議な精神的な作用であった。

 もう一度、「アメリカの可能性」を信じることができるかもしれないという不安と期待が綯い交ぜになったような感覚が、COVID-19と治安上の懸念から立ち入り禁止となった連邦議会前の空っぽのモールを満たしていた。

 ニューヨーク・タイムズ紙の保守派のコラムニスト、デビッド・ブルックスも、慎重ながらも、政治的熱狂とはまったく無縁なバイデンだからこそ期待できる変化の可能性に期待を寄せている。それは冷めた興奮といってもいい。ブルックスは、自身がバイデンの就任式に心を動かされたことへの驚きを表明しつつ、バイデン大統領が、我々が思っていた以上に、アメリカ政治のあり方を変える「トランスフォメーショナル」な大統領かもしれないとコラムを締めくくっている(David Brooks, "The Case for Biden Optimism,” New York Times, 1/21/2021)。

「トランプ後」の時代に大きく一歩踏み出した瞬間

 こうした「バイデン楽観論」は、新政権へのご祝儀として若干割り引いて評価しなければならないものの、ちょうど2週間前に同じ場所で起きたことを思い起こせば、期待もしていなかった楽観論が一瞬とはいえ、アメリカを覆ったことは特筆すべきだろう。

 その楽観論の根底には、バイデンに対する僅かながらの期待と同時に、MAGA反乱とそこにまで至った道筋を踏まえ、トランプ主義がついにアメリカ政治においてその正当性を失ったという感覚があった。MAGA反乱は、妙な輩がワシントンに集まってきて、歯止めが効かなくなって議会に乗り込んだという突発的事態ではなく、2016年の大統領選挙でアメリカがトランプという人物を大統領に選んだことの論理的帰結であったと多くの人が感覚的に察知した。その意味で1月6日は大きな転換点

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