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ミャンマー・クーデター ヤンゴン在住「現地ビジネスに最も精通した日本人」の緊急リポート

松下英樹 Tokio Investment Co., Ltd. 取締役

 ミャンマー国軍が2月1日、クーデターを起こし、政権与党を率いるアウンサンスーチー国家顧問らを拘束した。国軍は「国家権力を掌握した」と発表し、ミャンマー国内は緊迫している。ヤンゴン在住の日系投資会社役員、松下英樹さんに、現地の様子を緊急リポートしてもらった。
松下英樹(まつした・ひでき) 
ヤンゴン在住。2003年より日本とミャンマーを往復しながらビジネスコンサルタント、投資銀行設立等を手がけ、ミャンマーで現地ビジネスに最も精通した日本人の一人として知られている。著書に「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」(講談社プラスアルファ新書)

2月1日の動き

 午前6時30分(以下、ミャンマー現地時間)、PCを開いたらインターネットのニュース速報が飛び込んできた。「スー・チー氏、拘束か ミャンマー」というタイトルに続いて、ミャンマー与党、国民民主連盟(NLD)の報道官が1日、アウンサンスーチー国家顧問兼外相が拘束されたことを発表した、という内容だ。他の政府関係者が拘束されたとの情報もあった。

ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問=2019年10月、ネピドー

 一瞬目を疑ったが、まさかというのが半分、やっぱりやってしまったかというのが半分。実は3日ほど前から国軍はクーデターを否定しない姿勢を示し、戦車を移動させていたからである。

 不安を抱えながらも午前7時から日本のクライアントと定例のオンラインミーティングを開始した。

 午前8時ごろ、突然インターネットが不通となった。携帯電話には「緊急通報のみ可能」と表示され、通話もデータ通信もできなくなった。仕方がないので会議をあきらめ、オフィスに向かうことにした。交通量はやや少なめだが、心なしか先を急いでどこかに向かうという人が多いように感じた。

 午前9時、オフィスに到着。幸いオフィスのインターネット回線はつながっていた。念のためプロバイダに確認したところ「当社にはまだ何の通達も来ていないが、もし通信遮断の要請があった場合にはサービスを停止することになります」との回答であった。

 いつ通信が遮断されるかわからないので、急いで日本にいる家族や知人に心配しないように連絡を入れる。既に日本でも大きなニュースになっているようで、安否を尋ねるメールやメッセージが次々と入ってくる。返信が追い付かない。

 午前9時30分、旧知のFNNバンコク支局の記者から電話取材を受ける。FNNプライムオンラインの「ミャンマー、スー・チー氏拘束で国軍全権掌握 最大都市ヤンゴンは今どうなっているのか 在留日本人に聞いた」の記事で、私の以下のようなコメントが紹介された。

「交通量は少なめです。自宅から会社までの間ですが、先を急いでどこかに向かうという方が多いように見受けられました。銀行やスーパーはシャッターが閉まって営業していないようでした」
「まさかというのが半分、やっぱりやってしまったかというのが半分。そのような感じで周りの方々は受け止めています。総選挙がおこなわれたばかりで、民意が踏みにじられたのが残念。(2020年11月の選挙で与党NLDが圧勝したことで)軍としても追い詰められたこともあって、政治的な妥協ができなかったのか、残念に思います」
「今後、落ち着いてきたら軍に対するデモですとか、民主化を求める運動のようなことが起きると思います。それに対して軍がどういう対応するのか、国民の反発がどういう形で表現されるのかは危惧されるところです」

 午前10時、FBに投稿。

 日本の皆さんへ。クーデターが起きてしまいました。今のところ市内は平穏ですが、銀行やスーパーは閉店しているようです。交通量は少なめです。携帯電話とテレビは遮断されました。インターネットはまだ一部のプロバイダは利用できています。何が起きても不思議のない国ですから、驚きはしませんが、ミャンマーの皆さんが冷静な対応をされることのみを祈念しております。*今のところ会社のインターネットだけはつながっていますが、いつまで使えるかわかりません。しばらく連絡がとれないかもしれませんが、ご心配なく。

 午前10時30分、近くのショッピングモールに行き、当座の食糧(肉、野菜、パンなど)を購入。売り切れも心配していたが、一般の人たちにはまだ情報が伝わっていないためか混雑はしていなかった。

 午後12時30分、取材を兼ねてミャンマー人の友人の運転する車で市街地を走ってみた。午後になり、車の数はみるみる少なくなってきた。普段は渋滞している幹線道路もガラガラである。

 途中、大きな国旗を掲げ、荷台に大勢の人を乗せたトラックとすれ違う。友人の話によれば国軍に動員されたデモ隊であるとのことであった。中には大音量で軍歌を流している車もあった。午後2時ごろまで市街地で撮影した写真は以下である。

午後12時54分、カバエーパゴダ通り 

午後12時58分、ヤンゴン中心部サクラタワー前(日系企業が多く入居するオフィスビル)交通量がかなり少ない。

午後1時4分、閉鎖されているヤンゴン市庁舎 フェンスの中には軍の車両が止まっている

午後1時35分 シティマート(外国人や富裕層が利用するスーパーマーケット)ミニゴン店にて 特に混雑はしていなかった。即席めんをまとめ買いする人たち。

午後1時38分、臨時休業しているAGD Bank

午後1時48分 封鎖され、無人となったNLD党本部ビル。軍人や警察の姿もなかった。

 クーデター初日のヤンゴン市内は特に混乱もなく、平穏だった。食料や生活必需品を購入した後は自宅で息をひそめて様子をうかがってるほかはない。

 午後4時、「午後6時から外出禁止となる」との噂があり、慌てて自宅に戻る。携帯電話の通話とデータ通信が復旧した。自宅のインターネット回線も復旧していた。

 午後5時30分 NHKニュース9をみる。日本でもミャンマーのクーデターが大きく報道されていることにあらためて驚く。

 午後10時、この原稿を書いているが、外は静まり返っている。午後8時以降は外出禁止になったとの噂。とにかく電気とインターネットがつながっていることを祈って、就寝する。

クーデターの背景

 2020年11月に行われた総選挙では、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が前回を上回る396議席を獲得して圧勝。国軍系の連邦団結発展党(USDP)は33議席に留まり大敗を喫した。

 実はこの選挙結果を聞いた時に、私は素直に喜べなかった。「ちょっと勝ち過ぎではないか、プライドの高い軍人たちがおとなしく受け入れられるのか?」と直感したからである。

 実際にUSDPは選挙直後から860万人分の不正投票(同一人の複数投票、国民登録証の不所持等)があったと主張し、選挙の無効を訴えていた。戸籍のないものも多いミャンマーなので、選挙人名簿の不備があったことは想像に難くないが、選挙結果に影響を及ぼすほどの不正が行われたとは思えない。

 ではなぜ国軍は、このタイミングでクーデターに踏み切ったのか?

インタビューに応じるミャンマーのミンアウンフライン国軍最高司令官=2019年2月14日、ネピドー

 今回のクーデターで全権を掌握した国軍司令官ミンアウンフラインは、昨年64歳になった。本来、軍の定年は60歳であるが、5年前の選挙の後、彼は特例として5年間延長して軍のトップの座に君臨してきた。今回の選挙後もその地位を維持するためには定年を再度延長する必要があるが、これには軍内部からも強い反発が予想される。

 さらに現行憲法の規定によれば、国軍司令官は大統領から任命されることになっている。今日開催される予定だった議会で選出されるはずだった新大統領が、自分を国軍司令官として再任してくれるかどうか確信が持てなかったのではないか。

 国軍代表として副大統領に就任するというシナリオもあったと言われているが、総選挙で圧勝しさらに政治力を強めたスーチー氏と駆け引きをしながら、今後5年間にわたって国軍を率いていくためには副大統領という肩書はかえって邪魔になると判断したのかもしれない。

 いずれにしても今回、彼はまさに命がけの勝負に出た。新議会が開催される前にクーデターという形で一気に全権を掌握してしまうという強硬策。選挙結果そのものをなかったことにして、1年後にやり直すのだという。少なくともその間は国軍司令官として軍のトップの座に留まることを目指したのではないかと推測する。