松下英樹(まつした・ひでき) Tokio Investment Co., Ltd. 取締役
ヤンゴン在住歴18年目、2003年より日本とミャンマーを往復しながらビジネスコンサルタント、投資銀行設立等を手がけ、ミャンマーで現地ビジネスに最も精通した日本人として知られている。著書に「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」(講談社プラスアルファ新書)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
午前7時、朝食をとっている時にミャンマー人の友人から電話があった。「もうすぐインターネットが遮断される」との情報である。すぐに急ぎのメールに返信し、家族に電話をいれる。
午前9時、自宅のインターネット回線が不通となる。オフィスに移動。オフィスのインターネット回線はまだ使用可能であった。大使館からのメールで7日23時59分まで全国のインターネット接続が遮断されるとのこと。ビジネスへの影響も大きいことから軍政も平日を避け、週末だけに限定したのであろう。大河ドラマの最終回が見られないかもしれないのが残念だ。
FBに「しばらく連絡できない状態になるかもしれません」と投稿。現地メディアのFBページではヤンゴンでもスーチー氏らの解放を求めるデモが行われているとの報道があった。参加しているのは工場労働者が多いようだ。
長引くコロナの影響で生活がかなり困窮していたところにこの騒ぎである。彼らの怒りは頂点に達している。従業員は午前中で帰宅させることにした。
午後2時30分、ついに会社のインターネットも不通となったので、帰宅することに。抗議の意思を示してクラクションを鳴らしながら走る車が多い。商店も急遽、休業するところが増えた。
念のため、携帯電話のプリペイドカードを購入しようとしてコンビニに立ち寄ったが既に売り切れだった。仕方ないのでワインとビールを購入。自宅で飲んで寝るしかない。
インターネットから遮断された生活を送るのはいつ以来だろう。1995年に初めてインターネットを使い始めて以来かもしれない。目覚まし時計代わりのアレクサに話しかけても「接続がありません」としか返事をしてくれない。当然だ。
2003年、軍事政権下のミャンマーでインターネットプロバイダの会社を設立した時は、「インターネットでミャンマーを変える」と本気で思っていた。あれから18年、今やミャンマーではスマートフォンの普及率は100%を超え、インターネットは生活インフラとなっている。2011年に通信を自由化し、携帯電話のSIMカードを1500チャット(当時のレートで180円くらい)に引き下げる英断をしたのは軍人だったテインセイン大統領だった。
午後7時45分、毎日続く「悪霊退散」(太鼓や金物を打ち鳴らす)の行事が始まる(この様子を伝える動画は前回記事『ヤンゴン市民の怒り、徐々に高まる~緊急リポート「ミャンマー・クーデター」2日目』に)。日を追って激しさが増している気がする。今日は約1時間。いつまで続くのか。鍋を打ち鳴らす音が止んでも、クラクションを鳴らしながら走る車の騒音は鳴りやまない。
久しぶりに読みかけの本を開く。本を手に取るのも久しぶりだ。
友人からメッセージあり。明日午前9時から88年の民主化運動のリーダーとして知られるMin Ko Naing 氏の呼びかけでヤンゴン市内で集会が開かれるとのこと。スーチー氏が解放されたとの噂も流れている。
22時、就寝。