民の痛みを感じとれず、原稿棒読み。これでは誰もついていかない
2021年02月08日
有能なナンバーツーは、必ずしも有能なナンバーワンではない。ナンバーツーに特に求められるわけではなく、しかしナンバーワンには欠かすことができない資質とは何か。とりわけ危機にあって、ナンバーワンが備えなければならない必要不可欠な資質とは何か。
それは、国民の方を向くということだろう。
ナンバーツーは、永田町の遊泳術を身につけ、霞が関の役人を人事で縛り上げればそれで有能と評される。朝夕、有力者と会食を共にし、そこからさまざまなアイデアを吸い上げ政策にまとめ上げれば政策通の評価を得る。国家観や大局観がなくとも、個別の政策を積み上げれば立派な業績だ。
しかし、ナンバーワンはそれでは務まらない、就中、危機の時のナンバーワンはそうはいかない。
危機の時、国民はリーダーに命運を託す。命運を託すに足りずと思えば、誰もリーダーの言うことに従おうとはしない。しかし、危機に際し、リーダーは国民を束ねていかなければならない。国民に訴えかけ、その共感を得、国民を一つ方向に束ね、共同して脅威に立ち向かっていかねば国民の命運が損なわれる。
ナンバーツーの時、如何に政治の「技術」に長けていようと、ナンバーワンになり、政治の最も重要な要素である「国民との接点」に於いてその資質が問われるようなら、それは危機のリーダーとして致命的といわざるを得ない。
我々は危機に直面した時、どういうリーダーなら我々の命運を託してもいいと思うだろう。
「国民の痛みを肌で感じ」「しかし、大局的に判断すればこの方向に進むしかなく」「それを国民に分かりやすく説き、国民がそれを納得し、ついていこうという気になる」、そういうリーダーでなければ、我々は、難局に当たって全てを託そうとは思わない。つまり、ナンバーワンは「国民の方を向いて」いなければならない。
痛みは、経済の痛みであることはいうまでもない。しかし、必ずしもそれに止まらない。もっと広く、国民の不安をしっかり受け止めるものでなければならない。もしリーダーが、特定の有力者層と高級料亭で会うだけで、国民と接する機会を持たず、国民の不安を肌で感じることがなければ、我々は命運を託そうとは思わない。
我々は、リーダーが国民の痛みを肌で感じていると思うからこそ、その言うことを聞こうと思う。我々の痛みが、もしかしたらリーダーに伝わっておらず、リーダーは我々のことを知らずに号令をかけている、との疑念が生じれば、危機に際しリーダーの采配に従おうとは誰も思わない。(近頃、緊急事態宣言下の高級クラブへの出入り、会食への出席等の事例が報告され、それらへの言い訳や虚偽の説明まで聞かされる。号令をかける側が本当に国民の痛みを感じているのか、疑わずにいられない)。
政治家は、週末、選挙区に戻り有権者の声を直に聴く。週が明け、民の声を持ち帰り国会審議に活かす。しかし国のトップともなれば、そうはいかない。全国津々浦々に目配りしなければならないトップは、単に自らの選挙区に帰ればいいというわけでもない。帰京した議員を順次呼びつけ、地元の生の声を報告させる等、様々な工夫を凝らし、民の声を吸い上げる努力をしなければ、リーダーはたちまち雲上人になってしまう。
雲上人が自説に固執しても、誰もついていかない。
リーダーの判断は孤独な任務だ。しかし、国民の命運を握るとき、リーダーは果敢な判断を下さなければならない。いかに判断に誤りなきを期すか。「大局観や歴史観、国家観」なしに、個別政策の積み上げではどうも心もとない。しっかりした哲学があり、信念に基づいた決断があってこそ、ついていこうとの信頼感も生まれる。
リーダーは「国民に分かりやすく説き、国民の納得を得」なければならない。下を向いたままの原稿棒読みで納得する国民はいない。
国民を束ねよう、一つ方向に向かって動かしていこう、協力して危機に立ち向かっていこうとの気概が感じられなければ、国民はついていく気力も熱意もなくなる。
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