メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

防衛官僚の道を選び⽗から勘当 しくじり糧に「背広組」トップへ

連載・失敗だらけの役人人生① 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

「誰もやらないなら自分が」

 当時、私は大学の講義の単位もあらかた取り尽くし、時間があったので上野動物園の売店でアルバイトをしていました。父から勘当を言い渡された翌日は、売店でお客さんにジュースをこぼしたり、注文されたアイスクリームの盛り付けに失敗したり、散々だったことを覚えています。

拡大1980年2月、東京・上野動物園のパンダ、カンカンの新しい花嫁として北京動物園から贈られたホアンホアン(歓歓)が一般公開された =朝日新聞社

 アルバイトが終わり下宿に帰って自炊の準備をしながら、あやまって包丁で指を切ってしまうというおまけもつきました。自分では父の宣告を冷静に受け止めたつもりだったのですが、内心はかなり動揺していたのでしょう。

 当時、防衛庁では翌年の採用予定者を朝霞駐屯地で行われる自衛隊中央観閲式に招待して見学させたり、北海道へ部隊見学に連れて行ったりしていました。翌年4月に確実に入庁させるため、定期的に採用予定者の様子を把握するという目的があったのでしょう。

 そうしたイベントの一つに防衛庁採用のキャリアが一堂に集まるパーティがあり、採用予定者も参加して挨拶させられました。出身地や出身校などに触れて簡単に自己紹介するのですが、終了後に山形出身だというキャリアの先輩から「お父さんが随分心配しているようだな」と言われました。私より20年以上も年次が上で、当時官房の審議官を務めておられた大先輩でした。

 父が私の入庁に反対しているということは確実に彼のところまで伝わっていた訳ですが、それが私の採用にどう影響したのかはわかりません。その後、新社会人の生活が始まる直前の翌1981年(昭和56年)3月に自分の物を持ち出すために一日だけ実家へ帰ることを許されましたが、その時も父との会話は一切ありませんでした。

 そもそも父親の頑なな反対を押し切ってまで防衛庁を選んだのは、自分の「天邪鬼」な性格のためだったように思います。当時国家公務員を目指す学生の間で人気があったのは、現在と同様、大蔵省や通産省でした。自治省や厚生省などにはそれぞれの行政分野に高い問題意識を持った学生が集まっていました。そんな中で防衛庁は、お世辞にも人気官庁とは言えませんでした。

 終戦から既に35年経っていたとはいえ私の父のような反戦感情を持つ人はまだ多かったし、戦争放棄・戦力不保持を宣言した日本国憲法の下で自衛隊はまだまだ社会的に微妙な存在でした。多くの人たちが内心では国にとって必要な仕事だと認めながらも自らはそれにくみしない、日本社会にそんな雰囲気が色濃くあったような気がします。

拡大1979年10月、千葉・成田での国際反戦デー集会 =朝日新聞社

 当時の私の中には、格好をつけて言えば「必要な仕事なのに誰も進んでやろうとしないのなら、自分がやってやろう」というような気分がありました。こういう性格は明らかに父親譲りでしたが、父と正面から対決して説得しようとしなかったため、私の選択について父の理解を得ることは出来ませんでした。

 親の反対を押し切って自分がやりたい事を通そうとするのであれば、親を説得するのが責任ある行動ですが、私は父の頑国さをよく知っていたので正面から説得を試みても無駄だと思っていました。むしろ、父と私が対立することで家の中がぎくしゃくして面倒な事になるのは避けたいと考えていました。

 結果的に、父の同意を得ないまま私が防衛庁に入ったことで家庭内にはさらに大きなしこりが残ってしまったのですが、次男坊だった私には家族に対する甘えがあったのだと思います。

 その後、この勘当状態は長く続きました。私は役所に入って一年目の春に高校の同窓生だった家内と結婚したのですが、父は結婚式にも出席しませんでしたし、孫が生まれても会おうとしませんでした。盆暮れに帰省すると同じ山形市内にあつた家内の実家に滞在し、父の不在を見計らって私の実家に寄って母や祖母に子供たちの顔を見せたりしていました。

 この勘当は、長く一緒に暮らしていた祖母が亡くなるまで続きました。祖母の葬儀への参列を許されたのをキッカケとして勘当状態は自然に解消されましたが、気がつけば10年以上の時間が経っていました。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

黒江哲郎の記事

もっと見る