メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

潜没潜水艦がもうすぐ領海侵入! 寝間着のまま動転、発令が遅れた海警行動

連載・失敗だらけの役人人生④ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

潜航潜水艦を捜索する海上自衛隊のヘリ=2004年11月10日午後、沖縄・宮古島北方145キロの東シナ海。朝日新聞社機から

2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。

安危室で「16大綱」策定に没頭

 2004年(平成16年)8月に私は総理官邸から内閣官房安全保障・危機管理室(通称「安危室」)に配置換えとなりました。当時はまだ国家安全保障局が設置されておらず(設置は2014年=編集局注)、安危室が長期的な安全保障政策の策定と日々の危機管理業務の両者を担っていました。

 その少し前の2001年(平成13年)9月に米国同時多発テロ事件が発生し、直後にアフガン戦争が開始され、さらに二年後にはイラク戦争が始まるなど国際社会ではにわかに「テロとの戦い」がクローズアップされていました。我が国も、テロ対策特措法やイラク支援特措法を整備してテロとの闘いを支援するため自衛隊をインド洋やイラクに派遣しました。また、北朝鮮不審船事案等を契機として長年懸案となっていた有事法制整備の必要性が認識され、いわゆる事態対処関連法制が制定されました。

 こうした安全保障・防衛を巡る環境の激変を受けて、政府の内外では冷戦終結に伴って1995年(平成7年)に策定されたいわゆる「07大綱(防衛計画の大綱=編集部注)」を見直して、テロ対策などを盛り込んだ新たな「16大綱」を策定すべきだとの声が高まっていました。2004年4月には「安全保障と防衛力に関する懇談会」という有識者会議が設置され、16大綱について活発な議論が開始されました。

安全保障と防衛力に関する懇談会で、小泉首相に報告書を提出する荒木浩座長(左)=2004年10月、首相官邸。朝日新聞社

 私が安危室に着任したのは、有識者会議の報告書を取りまとめる作業が本格化した時期でした。安危室はこの懇談会の事務局を務めており、総括参事官の私は異動直後から懇談会メンバーの間を文字通り走り回ることとなりました。それからニカ月余り大綱見直しチームが夏休みも週末もなく奮闘した結果、10月4日に何とか懇談会の報告書をまとめることが出来ました。しかし、16大綱はその年の12月に閣議決定することを目指していたので、報告書完成直後から休む間もなく政府内調整が始まりました。

叩き起こされた深夜の電話

 そんな作業の真最中だった11月10日未明、私は防衛庁からの一本の電話で叩き起こされました。「国籍不明潜水艦が潜没したまま航行を続け、もうすぐ先島周辺の我が国領海に侵入する恐れがある」という文字通り寝耳に水の衝撃的な内容でした。中国原潜による先島諸島領海内潜没航行事案の発生でした。私にとってこの件は迅速に対応出来なかった痛恨の失敗事例であり、思い出すと未だに胸が苦しくなります。

 潜水艦が他国領海内を航行する際

朝日新聞社
には浮上して国旗を掲げながら航行しなければならない旨、国連海洋法条約に明記されています。潜没したまま他国領海内を航行することは明確な条約違反であり、領域国側は潜水艦に対し速やかに浮上し国旗を掲揚するよう呼びかけることとなります。

 我が国では、潜水艦への対処能力を有する唯一の組織である自衛隊が対応任務を担っています。自衛隊がこの任務を開始する際には、防衛庁長官が内閣総理大臣の承認を得て「海上における警備行動」(海警行動)を発令する必要があります。総理の承認を得るためには本来なら閣議決定が必要ですが、速やかに潜水艦に対処しなければならないため、閣議の手続きを簡素化する旨の申し合わせが既になされていました。

 心の準備もなくいきなり「もうすぐ潜没したまま入域するかも」との電話を受けた私は激しく動揺しました。通話するうちにすぐに潜没潜水艦に対応するための一連の手続きを思い出したのですが、その時点で既に政府内調整の時間はほとんどなかったので正直言って気が遠くなりかけました。

 しかし、海警行動を発令するしか選択肢はないので、ためらいながらも安危室の上司や総理官邸、防衛庁などと連絡を取り、ともかく発令に向けて調整を開始しました。こんな事案の発生を想定した訓練など行った経験もなく、潜没航行中の潜水艦と意思疎通できるのか、浮上を促すのにどのような手段があるのかなどの基礎知識も全くありませんでした。

領海通過後に中国原潜と確認

 それらの疑間を防衛庁に確認しつつ関係者に連絡するのですが、「こちらは武器を使用することがあり得るのか」「誤解されたり反撃されたりする危険はないのか」などと次々に疑間を突きつけられて、それをまた防衛庁に問い合わせるという繰り返しで、時間ばかりがいたずらに過ぎて行きました。自宅の布団で電話を受けて飛び起きてからとるものもとりあえず関係先への電話連絡を始めたのですが、状況確認の電話も頻繁に入り、ハブとなっていた私は着替えをする暇もほとんどありませんでした。

 こうして政府内の連絡調整は混乱を極め、総理ご自身に対応案が報告されるまでにはずいぶん時間がかかってしまいました。報告を受けた総理(小泉純一郎氏=編集部注)は即断され、すぐに海警行動が発令されたのですが、その時には潜水艦は既に我が国領海を通過してしまった後でした。それでも命令を受けた自衛隊は直ちに対応し、相手が中国の原潜であることを確認しました。後日、その成果をもとに中国に対して外交ルートで抗議を行い、中国は最終的に遺憾の意を表明するに至りました。

潜水艦による領海侵犯事件で中国の程永華・駐日公使(右)に抗議する町村外相=2004年11月12日、外務省。朝日新聞社

反省からマニュアルを整備

 外交的には一定の成果はあったと言えるかも知れませんが、自衛隊の行動ということについて言えば、潜水艦の領海侵入時に速やかに海警行動を発令すべきところを領海通過後に発令するという大失態を演じてしまった訳です。この失敗には、組織的な問題と私自身の対応の問題という二つの原因がありました。

 組織的な面では、潜没潜水艦事案への具体的な対応要領が関係者の間で共有されていなかったということに尽きます。既に触れた通り、潜水艦への対処措置等に関する基本的な確認・共有が全くなされておらず、訓練も行われていませんでした。さらに、この事案ではとりあえず内閣官房の私が中心となって調整が始まったのですが、本当のところ内閣官房と防衛庁のどちらが発令のための調整主体になるのかという点すら明確ではありませんでした。

 加えて、潜水艦の最大の特徴は隠密行動であるため、彼我双方の潜水艦の行動情報は最高度の秘密とされており、安危室の私に対しても入域直前まで伝えられませんでした。その頃はまだ特定秘密保護法も制定されておらず、機微な情報への適切なアクセスコントロールも行われていなかったのです。

 この一件の後、内閣官房が中心となって情報伝達要領や海警行動発令のための調整要領などを定めたマニュアルを整備し、訓練も実施するようになりましたので、このような失敗は二度と起こらないと自信を持って断言します。

・・・ログインして読む
(残り:約1867文字/本文:約4751文字)