連載・失敗だらけの役人人生⑤ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓
2021年03月25日
2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。
民主党政権末期の2012年(平成24年)9月に運用企画局長に任命され、部員、課長に次いで防衛省の運用部門において三度目の勤務をすることとなりました。
この年9月に我が国政府が尖閣諸島を国有化した直後から、これに反発した中国が同島周辺海域における政府公船の活動を活発化させました。さらに、11月に習近平が正式に最高指導者の座につくと、中国は従来の「韜光養晦」と称される爪を隠して能力を蓄える路線を転換し、国際秩序に対して正面から挑戦する動きを見せるようになりました。12月13日には、前日の北朝鮮による弾道ミサイル発射事件直後のスキを突くようにして、中国海警局の航空機が中国機として初めて尖閣諸島周辺の我が国領海上空に侵入しました。
そうした中、翌2013年(平成25年)1月30日に東シナ海で中国海軍艦艇を監視していた海上自衛隊の護衛艦「ゆうだち」が、相手の中国艦からFCS(火器管制)レーダーの照射を受けるという事案が発生しました。
実は、これより10日ほど前の1月19日、同じく東シナ海で中国海軍艦艇を監視していた海上自衛隊のヘリコプターが相手の中国艦からFCSレーダーを照劇されたとの報告が上がって来ていたのです。この情報は速やかに防衛大臣・総理まで報告され、防衛大臣が照射の事実を公表して中国に抗議する手はずとなっていました。ところが、直前になって待ったがかかりました。照射された電波の特徴について電波分析の専門部隊が詳細な解析を行ったところ、FCSレーダーのものとは断言できないという結果が出たのです。
この轍を踏みたくないと考えたこともあって、私は護衛艦の件については専門部隊による詳細解析の結果が出てから大臣と総理に報告すべきだと判断しました。ところが、東シナ海で行動していた護衛艦から本土に所在する解析専門部隊までデータを送って解析するのに思っていた以上の時間がかかり、結果が出たのは発生から6日も経った後の2月5日となってしまいました。ともあれ、解析の結果は「クロ」だったので、速やかに防衛大臣及び総理まで報告され、大臣が事実関係を公表し、正式に中国へ抗議しました。
中国に抗議したところまでは良かったのですが、なぜ発生から大臣・総理への報告まで6日もかかったのか、という点がマスコミや国会で追及されることとなってしまいました。確証がつかめるまで大臣や総理への報告を待つように指示したのは局長の私なので、私自身が衆参両議院の予算委員会で追及されることとなりました。運の悪いことに、これらの委員会は両方とも総理出席でNHKが中継することとなっていたため、私が失態を追及される場面はテレビを通じて全国に流されてしまいました。
事柄の重大性にかんがみれば、詳細は後日改めて報告することとしても、とにかく第一報だけは大臣・総理の耳に入れておくべきだった、というのが追及のポイントでした。その点は野党の追及・指摘の通りで全く弁解の余地はなく、私の予算委員会デビュー戦、テレビ中継デビュー戦はまことに意気上がらないものとなりました。衆議院の審議では、質問に立った野党議員が大臣や総理に対して「(担当局長である私を)叱らないといけない事案だ」と追及しました。
この質問に総理(安倍晋三氏=編集部注)が「事務方の気持ちはわかるわけでありますが、…(中略)…確認は別として、まだ未確認ということで今後は私のところに、もちろん防衛大臣のところに上がってくるようにいたします」という優しい答弁をして下さったのがせめてもの救いでした。
最近特に、政治主導でトップダウンの判断が素早くなされる事例が急増しています。役人としてこうした政治のスピード感について行くためには、迅速な報告を心がける必要があります。また、最近のマスコミは危機対応の妥当性を時間で測ろうとする傾向があり、いつ誰が何をやったのか、総理や大臣が報告を受けたのは何時何分だったのか等々に関心が集まり、まさに本件のような遅れがあるとそれは誰の責任だったのかという点が厳しく追及されることとなります。
それもあって、役所内ではとるものもとりあえず上司へ速報するという風潮に拍車がかかっているように感じます。速報自体は緊急事態へ迅速に対処するための基本ですし、何かあった時に自分の身を守るアリバイになるという意味でも大切なことだと思います。
しかし、正直に言えば、私自身はこうした「とにかく一報を」という流れにそのまま乗ることにためらいを感じていました。速報ばかりに気をとられていると、情報の信ぴょう性の確認や事態への対応策の検討がどうしてもおろそかになりがちだからです。自分の頭で考えずに情報を下から上へ流すことだけを繰り返していると、十分な材料を整えずに上司に判断を丸投げし、上司の判断に疑間を持たない、疑間があっても議論しないという無責任な態度につながっていきます。
加えて本件については、直前の海自ヘリの件のような「勇み足」をしたくないという意識も強く働きました。このため、私は「情報をそのまま上に伝えるのではなく、情報の信ぴょう性を確認した上で報告すべきだ」と判断したのです。残念ながら、本件においては信憑性の確認に予想以上に時間がかかったため総理や防衛大臣(小野寺五典氏=編集部注)への報告が遅れてしまい、批判を浴びることとなりました。
最低でも一言耳に入れておくべきだったというのはもっともなので、批判は甘受しなければなりません。私自身その点には深く反省しています。その上で、やはり私は付加価値の大事さを強調したいと思います。安全保障や防衛の問題については最終的に政治の判断が必要となるのはもちろんですが、適切な政治判断のためには様々な判断材料が不可欠です。「言うは易く行うは難し」というところですが、速報することと必要な付加価値をつけることとのバランスをとるように努力することが重要だと思います。
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