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防衛官僚の3Kは「企画」「紙」「共感」 小泉首相に「国民は理解できないよ」と言われ… 

連載・失敗だらけの役人人生⑥ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

国会が見える官庁街で出勤する人たち=2005年8月、東京・霞が関。朝日新聞社

2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。

別の意味で大事な「3K」

 防衛庁と防衛省で過ごした40年近くの間に、少なくとも三つの極めて大きな国際構造の転換に遭遇しました。

 一つ目は1989年(平成元年)11月のベルリンの壁の崩壊です。物心ついて以来ずっと二つのドイツが載っている世界地図になじんできた私にとって、ドイツの統一・東西冷戦の終結はまさに衝撃でした。これ以後、安定的な抑止構造は姿を消し、世界はポスト冷戦の流動期に入りました。

 二つ目は2001年(平成13年)9月11日に発生した米国同時多発テロです。世界一の軍事力を誇る米国が、わずか数人のテロリストの自爆攻撃によって3000人もの犠牲者を出したのです。この事件は、従来の安全保障や国防の概念を根底から覆し、「テロとの闘い」が国際社会共通の課題となりました。

 そして三つ目は2016年に相次いで起きたBREXIT(英国のEU離脱=編集部注)と米国大統領選におけるトランプ氏の勝利でした。これにより国際秩序の中心をなしてきた同盟政策と多国間主義が後退し、間隙を突いて権威主義国家の既存秩序に対する挑戦が勢いを増してきました。

2020年12月、米ジョージア州の集会で演説するトランプ大統領=朝日新聞社

 防衛省は、こうした国際情勢の変遷に対して、その都度「防衛計画の大綱」や中期防衛力整備計画(中期防)の策定・見直しなどを行い、自衛隊の任務を拡大し、戦力組成を変化させるなどして対応してきました。また、日米同盟の信頼性の維持向上、同盟における我が国の責任の増大などを図って米国のコミットメント確保に努めるとともに、防衛交流や安全保障対話を通じて多国間主義の強化に努力してきました。

 防衛省の内部部局の仕事は人事制度から防衛施設行政に至るまで幅広い分野に及んでいますが、ここに述べたような基本政策のかじ取りは防衛政策部門が担っています。私は、係員・部員として8年、局次長として3年、局長として1年の合計約12年間にわたってこうした防衛政策の企画・立案に参画してきました。

 個々の政策の意義、目的、趣旨、内容などについては、その時々の防衛白書その他に詳しく紹介されていますので本稿では触れません。ここではむしろ、「仕事の仕方」という切り口で、実務に携わった者としての経験を述べることにします。

 まず、防衛政策部門は「3K職場」だ、というのが私の実感です。仕事量は多くて「きつい」し、風呂にも入らずシャワーも使わずに泊まり込みや徹夜作業を続けていれば体は「汚い」し、働き過ぎで体を壊す「危険」や仕事を失敗することによる別の「危険」もそこら中に転がっています。「きつい、汚い、危険」という3K職場の要件を十分に満たしていると言えるでしょう。

 しかし、私が言いたい「3K職場」は、これとは違います。その「3K」とは、「企画する(考える)」、「形にする(紙にする)」、「(関係者の)共感を得る」という三つのKのことです。防衛政策部門がその典型ですが、防衛省の内部部局はそれぞれの所掌に従ってその時々の課題への対応案を企画し、形にし、関係者の共感を得て実行に移すという仕事をしているのです。

勉強と経験から…第一のK「企画」

 この3Kサイクルは、課題に対応した適切な政策案を企画する(考える=第一のK)ことから回り始めます。政策を企画するのに必要な特別なコツはありません。「勉強」と「経験」が必要なだけです。防衛政策部門に勤務する職員たちは、みんなこのことを知っているはずです。このため彼らは、担当分野に関係する様々なことを勉強し、実務に取り組んで経験を積み重ね、時に徹夜も休日出勤も厭わず努力しています。

東京・市ケ谷の防衛省=2020年。藤田撮影

 一つだけ付け加えるとすれば、「物事をありのままに見ることが大切」だという点です。防衛政策や安全保障政策は、生きて動いている国際情勢を相手にする仕事です。これに対応するためには、対象を冷静かつ客観的に観察することが必要不可欠です。単純な事のように聞こえますが、最初からこうした物の見方を出来る人はそう多くないように思います。

 私自身も先入観や希望的観測、楽観や悲観に左右されて、「物事をありのままに見る」ことがなかなか出来ませんでした。51大綱(1976年策定の防衛計画の大綱=編集部注)の見直し作業の際には冷戦終結後の国際構造を無理に自分が慣れ親しんだ予定調和的な物差しで測ろうとしたり、沖縄問題では基地周辺住民の意思を一面的に解釈しようとしたり、多くの失敗を繰り返しました。

 結局、「物事をありのままに見る」ことの大切さがわかったのは、現役時代も残り少なくなった頃でした。ここでも「勉強」と「経験」が大切なのだと思います。

「ララバイ」からの脱却

 3Kサイクルの起点となる第一のKが大事なことは当然ですが、政策は案を企画するだけで実現される訳ではありません。行政機構は複雑で関係部署が多く、一つの政策を作り上げ実施していくためには他の部署の理解と協力が不可欠です。さらに、重要な政策であれば、最終的に立法府の了解を得ることも必要となります。

 第三のK、つまり自分が立案した政策について関係者の「共感を得る」ことが出来なければ、いくら良い政策であっても実現できません。そのためには、わかりやすい紙を作ること(=第二のK)も大切です。これら三つのKは相互に深く結びついているとともに、三つ全てが等しく重要なのです。

 若い頃はこのことを全く理解しておらず、政策作りには文字通り倒れるほど集中する一方で、プレゼンは「単なる言いぶりに過ぎない」として軽視していました。これは私だけでなく、当時の内部部局全体がそんな雰囲気だったように思います。政策の内容と自分の思考過程を淡々と伝えることが「説明」だと思っていたので、私の説明を聞く相手はよく寝落ちしていました。口の悪い先輩から「黒江ララバイ(子守歌)」とからかわれたりもしたのですが、一向に意に介さず「自分の声が低いので他人の副交感神経に働きかけて心地良くしてしまうからだ」などと冗談を言って受け流していました。

 そんな中、1993年(平成5年)の通常国会を控えた1月のある日、前年末に閣議決定されたばかりの中期防の修正について国会の調査室に説明するという仕事が入りました。調査室は、国会議員の立法活動を補佐する組織です。ここでの説明は議員の質問に直結するので、私は少なからず緊張し、気合いを入れて説明に臨みました。

 ところが、話し始めた直後から、テーブルに座ったメンバーが目の前で一人、また一人と眠りに落ちていくのです。決してオーバーな表現ではなく、15分ほどたった頃には10数人の出席者の7割方が眠り込んでいました。昼食直後の午後1時からという不幸な時間帯ではありましたが、さすがにこの出来事にはショックを受けました。

※写真はイメージです

会議で居眠りする国会議員たち=1987年、東京・永田町。朝日新聞社

 そこでようやく自分の説明ぶりに問題があるのではないかと思い当たり、説明内容や使っていた資料などを点検してみました。その結果、自分が単調でメリハリのないとても退屈な話をしていたことに気づかされたのです。これ以後、「ララバイ」からの脱却を目指して、相手を眠らせないようなストーリー構成や資料の内容、説明の切り口などについて工夫を重ねる日々が始まりました。

 もちろん、思い立ったからと言ってすぐに退屈な説明ぶりが改まる訳もなく、思いつくままに数字を強調したりポンチ絵を多用したり様々なことを試しました。先輩や同僚が行う説明ぶりに対しても、「わかりやすさ」という観点から関心を持つようになりました。

 防衛大綱を解説するテレビ番組の中で演習場に実際に隊員を並べ、自衛隊の充足率の低さを可視化しようとしたある先輩の試みには目を引かれました。また、(米国同時多発テロを受けた「テロとの戦い」で多国籍軍への給油のため=編集部注)インド洋に派遣された艦艇の甲板で目玉焼きを作り、隊員の勤務環境の厳しさを訴えたある後輩のアイディアなども大きな刺激になりました。

 この30数年の間に我が国を取り巻く安全保障環境は大きく変化し、多くの人々が国防や安全保障に関心を有するようになりました。以前のように、少数の専門家だけが理解して議論していれば良いという時期は過ぎたのです。安全保障・防衛政策の立案に携わる者は、出来るだけ多くの人々の理解と共感を得られるようにわかりやすい説明に努めていかなければならないと思います。

必殺「3の字固め」…第二のK「紙」

 第二のKである紙の書き方について、試行錯誤の末に必殺技(?)として編み出したのが「3の字固め」でした。

 政策を説明する際にも、何をどのような順序で伝えるかという説明の流れ、ストーリー展開を考える必要があります。一般に、文章は「起承転結」でストーリーを構成するとわかりやすいと言われています。しかし、かねがね私は政策の説明としては「起承転結」の四段階では冗長だと感じていました。

 他方で、政策を企画するプロセスを単純化すると、「課題」を認識し、その解決策を「検討」し、最も望ましい「結論」を出すということになります。そこで「起承転結」の四段階に代えて、この「課題・検討・結論」の三段階(これも偶然3Kです!)でストーリーを構成すれば、より簡潔な説明が可能なのではないかと考えました。

 また、大抵の物事は三つの異なる切り口を示せば立体的に表現することが出来ます。このため、説明ペーパーは出来るだけ少なく、可能なら一枚紙で、構成は「課題・検討・結論」の三項目、検討する際の論点や切り口も三つ、さらには結論を絞り込む際の選択肢も両極と中間の三つの案に集約するよう努力しました。

 「3の字固め」にこだわった理由の一つは、それまでの経験上、説明を聞く側の記憶に残るのは三項目くらいが限度だと感じていたからです。そのくらいコンパクトに整理し切れない案件は、多忙な上司の判断を仰いだり、国会議員に説明したりするところまで成熟していないのではないかとすら感じます。

自民党の国防部会に説明のため出席した防衛官僚たち(手前)=2020年6月、東京・永田町。藤田撮影

 もちろん、役人の世界で言う「詰まった」政策を作るためには、たっぷりとブレーンストーミング等を行い、考え得る限りの論点を網羅して徹底的に検討しなければなりません。そうした基礎作業に用いるペーパーが詳細で大部のものになるのは仕方ありません。政策の立案過程ではとことん細部まで検討し、出来上がった政策案については簡潔な資料を用いて説明するというのが理想です。

 また、簡潔に説明することは、都合の悪い論点を隠すことでもありません。上司に判断を求めたり部外者に理解を求めたりする際には、その政策のメリット・デメリットをフェアに説明すべきことは当然です。同様に、簡潔な説明を心がけるとしても、相手の疑間に対しては懇切丁寧に答える必要があります。簡潔な一枚ペーパーで説明しながら、流れや質問に応じてデータなどのバックアップ資料を適時追力目的に示していく、というのが望ましいやり方だと思います。

 要するに「3の字固め」とは、膨大な思考過程と検討事項を「3段階のプロセス」「3つの論点」「3つの切り口」「3つの選択肢」など「3」を目安としながら整理・集約し、重要な論点とその対応策を手際よく提示していくという技なのです。もちろん、「3」はあくまでも目安です。現実の課題に即して、いずれかの要素が4になってもペーパーが2枚になっても、論点の整理・集約と簡潔な提示が出来ていればOKです。

 私が内閣官房安全保障・危機管理室(安危室)の参事官だった頃に、インド洋での補給支援活動の根拠となっていたテロ対策特措法の期限延長法案を国会に提出しました。内閣官房、防衛庁、外務省の三者が関係する法案だったので共通の説明資料を作って関係議員に根回ししようとしたのですが、資料がなかなか整いません。国際情勢や派遣の経緯、活動の実績などを盛り込んだ長文の詳しい説明資料を作ろうとする防衛庁と、「3の字固め」で簡潔な資料を用意しようとする私の意見が合わなかったからです。

 法案の根回しは、与党の部会にいつも顔を出しているような防衛問題に詳しい先生ばかりが対象ではありません。党幹部や国対関係の先生方などたくさんの議員の間を短時間で回らなければならないのです。そういった多くの忙しい先生方の間を研究論文のような長文の説明資料を抱えて回るということが、私にはどうしてもイメージできませんでした。

 このため、決して望ましいことではないのですが、資料の統一を放棄して別々の資料を用いました。実際に根回しをやってみたところ、簡潔な資料で全く不都合は生じなかったのでとても意を強くしました。

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