連載・失敗だらけの役人人生⑦ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓
2021年04月08日
2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。
前回は防衛省での「仕事の仕方」として第一と第二のKを中心に紹介しましたが、今回は第三のK=「共感を得る」ためのプレゼンテーションについて触れます。
プレゼンに当たっては、「何をどのような切り口で話すか」をよく考えなければなりません。どんな政策にも一丁目一番地の論点、主要な論点があります。政策について理解を得るためには、そうした主要論点をしっかり掘り下げて説明しなければなりません。
そのため、多くの人が自分の議論を補強するためポンチ絵を使ったり、関連する数字を紹介したりしていることと思います。特に、数字を使うことは、物事のスケール感を理解してもらう上で効果的です。さらに、単に数字を示すだけでなく、その数字を印象付けるための表現をちょっと工夫するだけでグッと効果が上がります。
例えば、中国の軍事力建設のペースについて「水上艦艇も潜水艦も毎年2~ 3隻ずつ、最新鋭戦闘機は年に30機ずつ調達している」と紹介するのは事実関係の説明です。これに「自衛隊の場合、艦艇や潜水艦は年に1隻ずつ、第五世代戦闘機は年に数機ずつが精一杯」と付け足すと、中国の増強ペースがいかに速いかを理解してもらいやすくなります。同様に、中国の人口を「約14億人」というのは事実関係ですが、「世界の5人に1人は中国人」と紹介するとスケール感がさらによくわかります。
また、自衛隊のスクランブルについて「年に1000件を超える」というのは単なる事実関係ですが、「単純平均でも毎日3回は国籍不明機に対応していることになる」と紹介すれば、その頻度を実感しやすくなります。こうしたちょっとした工夫が、インパクトのある説明につながるのです。
同時に、説明が細部に入り込み過ぎて「木を見て森を見ない」ような議論に迷い込まないよう注意することも大事です。そうなりそうな時には、「そもそも何故この案件を進めなければならないのか」というような切り口を提示して、大局的な議論に立ち戻るように促すことが有益です。
私はこれを「視点を若千後ろに引いて物事を抽象化して考える」というようなイメージでとらえています。具体例をいくつかあげてみましょう。
2015年(平成27年)の平和安全法制の審議においては、ホルムズ海峡が封鎖されたような場合はいわゆる存立危機事態に当たるのか、その際に自衛隊を派遣すべきか否かが大きな議論となりました。国会では、石油がどの程度不足すれば存立危機事態と認定されるのか、自衛隊の行動範囲は公海に限られるのか、機雷掃海は敷設した国からの攻撃を招くのではないかなど様々な点が議論されました。
賛否は別として、ホルムズ海峡へ自衛隊を派遣できるということを法律的に説明するのは十分可能です。しかし私には、法律論をいくら積み重ねても、派遣の必要性自体はなかなか一般の人の胸にストンと落ちていないのではないかという懸念がありました。
そこで、存立危機事態からちょっと離れて考えてみました。
そもそもよく考えると、今この瞬間にも、日本向けの石油を海賊から守るためにソマリア沖・アデン湾に海上自衛隊の護衛艦と航空機が派遣されています。船主も船員も海上自衛隊が海賊からタンカーと石油を守ってくれるように望み、国民の代表である国会もこれを容認しているのです。海賊に対してすら自衛隊の派遣が求められているのなら、海賊よりもはるかに軍事的に強力なイランがホルムズ海峡を封鎖した場合に国民は何を望むのでしょうか。
危険を避けるために中東の石油への依存をやめるというのなら、それは一つの合理的な選択でしょう。しかし、調達先の多角化を言うのは簡単ですが、実現するには多大な時間と困難を伴います。他方、今と同様に中東からの石油に頼り続けるのであれば、海賊からであれイランからであれタンカーと石油は死守しなければなりません。相手が強力なイランなら、むしろ自衛隊への期待は大きくなると考えるのが自然です。その可能性が高いのなら、事が起きてから慌てて対処するよりも、今のうちに法律を整えて自衛隊に訓練する時間を与えておく方が、はるかに合理的で効果的です。
この説明は、「存立危機事態」のイメージアップのためにあえて平素の行動を引き合いに出して理解を得ようとしたものです。法律論を無視しているとして内閣法制局から叱られかねないので、国会の場でこういう答弁はしませんでしたが、非公式の場で話してみると多くの有識者やマスコミ関係者が「わかりやすい」と言って下さいました。
私が運用企画局長を務めていた2013年(平成25年)1月に、アルジェリアのイナメナスにある天然ガス精製プラントがアルカイダ系のテロリストに襲撃され、邦人を含め多数の民間人が犠牲になる事件が発生しました。この事件を機に、自衛隊による在外邦人の陸上輸送を可能とする法改正案を提出しました。
それまで自衛隊による在外邦人の避難輸送については、航空輸送と海上輸送は認められていましたが、陸上輸送だけは認められていませんでした。他国の紛争に関与する危険を減らすためです。改正法案に対しては、予想通り「他国での戦闘につながり、ひいては海外派兵に道を開く」として強い反対論が起きました。
しかし、そもそも政変や紛争などの際に在外邦人が陸路で避難せざるを得なかった事例はこれまで既に何度も発生しており、そのたびごとに在外日本公館の職員が危険を冒して輸送したり、他国の軍隊に輸送を依頼したりしてきたのです。邦人の陸上輸送のニーズはこれからも発生します。自衛隊にやらせないのであれば、公館員など他の誰かにリスクを負わせなければなりません。丸腰の公館員にリスクを負わせたくないのであれば、厳格な要件を設けて他国の戦闘への関与を避けながら自衛隊に陸上輸送の任務を付与するのが現実的です。
この説明は、「自衛隊が他国で戦闘する恐れがある」という論点のみに集中しがちなところを在外公館員が負わねばならないリスクという論点に引き戻そうとしたもので、法案に難色を示していた方々からも多くのご理解を頂きました。
同じ2013年(平成25年)に成立した特定秘密保護法も、厳しい世論の批判にさらされました。反対するマスコミは、「政府が恣意的に特定秘密を指定し、罰則を設けて表現の自由・取材の自由を制約しようとしている」、「防衛省は機密事項が多いので国民が知らないうちに戦前と同じような「いつか来た道」をたどることになる」といったキャンペーンを展開しました。
表現の自由・取材の自由を守るためには、自衛官の命を危険にさらしても良いというのでしょうか? 自衛官の命にかかわるような秘密を漏洩する者に刑罰を課することが、それほど不当なことなのでしょうか?
ここに挙げたのはいずれも、主要な論点とは別の角度から議論を提起して、大局的な論点に引き戻し、こちらの論拠を補強しようとした例です。「辺野古新基地反対! 美しい海を破壊するな!」と主張する人たちに対して、「辺野古移設の出発点は普天間基地の危険性の早期除去であり、単なる反対では普天間の危険を長引かせるだけ」と指摘して理解を求めるのも同じような例です。
私は野球を観戦するのが好きなので無理に野球になぞらえるのですが、ここに示した説明方法は、低めの速い直球(主要な論点)に狙いを定めて打ち返そうとしている打者に対して、大きく曲がり落ちる緩いカーブ(大局につながる議論)を投げて視線を上げさせ、タイミングを外して打ち取るようなものかなと思っています。
これに対して、相手と状況によっては直球が威力を発揮する場合もあります。民主党政権時代には、原点に立ち戻って直球で勝負する場面が多かったように感じます。
2009年(平成21年)11月、誕生直後の民主党政権の下で事業仕分けが行われました。この事業仕分けへの対応は、典型的な直球勝負でした。「世界一になる理由は? 二位じゃダメなんでしょうか?」という「仕分け人」の発言が出て話題を呼んだ分科会で、防衛省の案件も議論されました。当初は上司の防衛政策局長が対応するはずだったのですが、局長が海外出張することとなったため、次長だった私が代打として駆り出されたのです。
ただ、幸いなことに防衛省の出番は事業仕分けのスケジュールの中では後半の11月26日に設定されていたので、本番を迎えるまでの間に他省庁のやり取りの模様を観察し分析することが出来ました。その結果、いくつかの有益な対処方針が得られました。
まず、質問されたことに対して正面から答えずにはぐらかすような態度をとることは論外で御法度。また、冗長な説明だと趣旨がぼやけるので、極力短く簡潔に答えるのが望ましいこと。さらに、事業の趣旨や必要性に疑間を呈された場合に、いかにも弁解がましい消極的な理屈で守ろうとするのは避けなければならないこと。その上で、最も重要なポイントは、我々は悪いことをしている訳ではないのだから、防衛の必要性を正面から堂々と訴えることだと考えました。
事業仕分けは、行政のしがらみの薄い民間委員や政治家などが第三者的な眼で事業に切り込み、財務省の助言を受けながらコストの無駄を見つけ出してカットするというパフォーマンスです。こういう構図だと、事業を推進する側は最初から受け身の立場に立たされ、無意識に弁解じみた説明や消極的・防御的な説明をするように追い込まれていきます。
これを防ぐには、正面から事業の必要性を主張すること、誤解を恐れずに言うなら「徹底して開き直ること」が必要だと考えました。この方針の下に様々な問いを想定し、極力短く簡潔な答弁を用意しました。
こうして準備万端整えて臨んだ仕分けの当日、午前中はまず自衛隊の実員の増員がテーマとなりました。その序盤で、自衛隊の定員と実員、充足率の現状に関するごく基本的な数字を問われました。十分にデータもそろえていたので楽勝のつもりだったのですが、なんとその場で資料が出てこず、結局答えられなかったのです。この凡ミスに焦り、その後の対応はグダグダになり、終始相手のペースで仕分けが進んでしまいました。
最後には実員と定員の考え方や業務の民間委託のあり方について厳しい指摘を受け、一敗地にまみれて終わりました。会場となっていた国立印刷局市ケ谷センターから本省まで歩いて帰ってくる途中でテレビ局の取材を受けたのですが、敗戦のショックと悔しさのため完全に上の空で、何を聞かれ何を答えたのか全く覚えていません。
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