自民党保守派が求める「国旗損壊罪」は不要かつ有害だ
具体的な必要性や利益は皆無。「岩盤支持層」へのアピールで将来に禍根を残すな
米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士
「日本国に対する侮辱」の認定は困難
それを前提とした時、第一の問題点は、「日本国に対して侮辱を加える目的」の認定の困難さです。
現在の刑法でも、「侮辱罪(刑法231条)」「名誉棄損罪(刑法230条)」において「侮辱」「名誉を棄損」という文言で刑罰が定められていますが、誰かにとって少しでも侮辱、名誉棄損と感じられる言論が全て禁じられるとなったら、憲法に定める言論・表現の自由(憲法21条)は成立しません。そこで刑法は、第230条の2で「公共の利害に関する場合の特例」を定め、仮に誰かにとって、侮辱・名誉棄損と感じられる言論・表現であっても、「公益目的」の「正当な批判(意見・論評)」は違法性が阻却されるものと解されています。
「日本国に対して侮辱を加える目的」についても、当然同様の解釈がなされるべきと考えられ、誰かにとって「日本国に対する侮辱」と思われるとしても、それが公益目的の「正当な批判」であるなら、憲法で保障された表現の自由の一環として当然保護されるべきものと考えられますが、少なくとも現状において、その境界は必ずしも明らかではありません。
「日本人自らの日本に対する侮辱」は成立するのか
また、それ以前の問題として、この「国旗損壊罪」の対象は多くの場合日本人だと考えられるのですが、「日本人自らの日本に対する侮辱」というのは、そもそも成立するのかという疑問が生じます。端的な例として、私以外の誰かが私(米山)に対して「米山は人間のクズだ!」と言ったら、それは「侮辱」若しくは「名誉棄損」であることに異論のある人は少ないと思うのですが、私自身が私(米山)に対して「米山は人間のクズだ!」と言った場合、それはどう見ても自らに対する「自己批判」であって、これが「侮辱」、もしくは「名誉棄損」として侮辱罪、名誉棄損罪に該当すると考える人は滅多にいないでしょう。
前述の侮辱罪、名誉棄損罪とも、「(他)人を侮辱した者」「(他)人の名誉を棄損した者」に刑罰を科しているのであり、当然ながら「自らを侮辱した者」「自らの名誉を棄損した者」はその対象ではないからです。
これと同様に考えれば、すべての日本人は日本の一部である以上、日本に対する批判は同時に、多かれ少なかれ自らへの自己批判であると考えられます。そしてそうである以上、その様な行為を、刑罰を持って罰することに、私は強い違和感を覚えます。
要するに、日本人が、「日本国に対して侮辱を加える目的」で、「自らの国旗を損壊して、自らの主張をする行為」は、多くの場合「日本国に対する正当な批判」の意味合いを含むものなのであり、これを公権力が恣意的に「侮辱」と断定することは、民主主義、自由主義の大前提となる表現の自由(憲法21条)を大きく阻害し、日本に対する正当な批判としての言論を委縮させる危険を孕(はら)むと言わざるを得ないのです。
「国旗」「損壊・除去・汚損」は何を指すのか

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次に、条文の文言にある「国旗」は、明らかなようでいて意外に明らかではありません。
通常想起される「国旗」は、入学式や卒業式で国旗掲揚塔や壇上に掲揚されている立派なものですが、運動会でロープにつるされている小さな国旗も、国旗には変わりありません。陛下の一般参賀で配られる小旗が国旗であることを否定することも困難でしょう。
また、「侮辱目的」ということなら、白布どころか模造紙(新潟県人的には「大洋紙」)の真ん中に赤い丸を書いて燃やすという行為も十分に想定され、罰条の予定している行為態様からは、手作りの国旗もまた国旗と認定せざるを得ません。そうすると、理屈上は、目の前のA4の紙に赤鉛筆で日の丸を書き、「こん畜生!」と言って丸めてごみ箱に捨てる行為も、刑罰の対象となりかねないことになります。
さらに、やはり条文にある「損壊・除去・汚損」も、より一層悩ましいものです。他人の物であれば、軽微なものでも「損壊・除去・汚損」とすることにさしたる異論はない人が多いと思いますが、この法案で主に問題となるのは、上述の通り「自分の国旗」です。自分の国旗は、自分の物であるがゆえに、それほど大事に保管していない人も少なくないと思います。
休日には国旗を掲げている我が実家でも、そう粗雑な扱いはしていませんが、とはいっても使用後に毎回、柔軟剤もいれて洗い、丁寧にアイロンをかけているわけでもなく、場合によってはカビが生えてしまうことだってあるかもしれません。また、屋外で風雨にさらされる国旗は、いつかは自然に損耗し、廃棄しなければならなくなります。
それを「国旗に対する敬意が足りないからだ!損壊・除去・汚損だ!」などと言われたら、非常に困惑するところですが、そう言われないという保証はどこにもないのです。