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ドローンが映すミャンマー大規模デモ「ヤンゴン緊急リポート」第四弾、ついに銃弾に倒れた者も

「75歳の“母親”が国のために頑張っているのに黙っているわけにはいかない」

松下英樹 Tokio Investment Co., Ltd. 取締役

 日増しに拡大する国民の抗議活動。2月8日にはついにヤンゴン全域に夜間外出禁止令(午後8時から午前4時)及び公共の場での5人以上の集会禁止令が発表された。これはコロナ感染症対策の行動制限とは違う。命令に従わなければ撃つぞという警告である。それでも国民の怒りは収まらない。9日も全国で大規模な抗議活動が行われ、首都ネピドーではついに銃弾に倒れた者が出てしまった。9日午後10時現在、昨日までと一変して外は不気味な静けさに包まれている――ヤンゴン在住の日系投資会社役員、松下英樹さんの緊急レポート第四弾。ドローンが撮影したデモの動画は必見だ。
松下英樹(まつした・ひでき) ヤンゴン在住。2003年より日本とミャンマーを往復しながらビジネスコンサルタント、投資銀行設立等を手がけ、ミャンマーで現地ビジネスに最も精通した日本人の一人として知られている。著書に「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」(講談社プラスアルファ新書)

 まずは私の友人がドローンで撮影した動画をご覧頂きたい。2月9日にヤンゴン市フレーダン交差点で数千人が抗議活動をした様子だ。

 ヤンゴン市内は緊迫度を増している。前回リポート以降の動きを報告する。

2月7日の動き

 2月6日の午後からインターネット接続が遮断されている。午前10時ころからまたクラクションを鳴らしながら走る車が増えてきた。

 7日午前11時(ミャンマー時間)、家の前の大通りを市民のデモ隊が行進している。特に組織だったものではなく服装も普段着のまま。三本指を掲げているのは「不服従運動」のサイン。沿道の人たちは拍手で迎えていた。

 SNSの呼びかけに応じた市民が市内各所に集結し、いくつかのコースに分かれて市内を行進しているようだ。自宅の前の通りがデモコースに入っているらしく、断続的に集団で通過していった。ダウンタウンを目指して行進中とのことだった。

 午前0時にインターネット接続が再開されるとのことだったので、夜に備えて昼寝でもしておこうと思ったら携帯にショートメッセージが入ってきた。「国連の特別調査団がヤンゴン空港に到着するので午後2時になったら外に出て、金物を打ち鳴らしましょう」

 国連がこんなに早く動くとは思えない。いろんなデマが飛び交っているので半信半疑だったが、インターネットが使えないので情報を確認することができない。

 午後2時ころ、突然携帯電話からメッセージ着信音が連続してなり出した。インターネット接続が復活したらしい。すぐにPCを開いて書き溜めておいた原稿を送信した。不安定で速度も遅かったが、しばらくたっても接続は可能なままだった。約24時間のオフライン生活だったが、インターネットの重要性と通信から遮断された不安を改めて認識させられた。

 午後7時45分、夕食を終えてくつろいでいたら、「用事があって外出するから一緒に街の様子を見に行かないか」と現地人の友人から電話があった。夜間の外出はしたくないと断ったが、車で近所を一回りするだけだからと押し切られ出かけてみた。

 ちょうど恒例の「悪霊退散」(『ヤンゴン市民の怒り、徐々に高まる~緊急リポート「ミャンマー・クーデター」2日目』に動画あり)の時間だったので、クラクションを鳴らしながら走る車と鉦を鳴らしながら声援を送る人たちで沿道はあふれていた。子供やお年寄り、僧侶や病院のスタッフたちまで。警官や軍人の姿は見かけなかった。友人はこれから明日の抗議活動に備えてビラやプラカードを作成するのだという。

 以下は筆者が撮影した沿道で声援を送るヤンゴンの人々の様子である。

2月8日の動き

 午前7時、定例のオンラインミーティング開始。振り返れば怒涛の1週間だった。自宅での会議を終えてオフィスに移動。

 午前9時、日本人駐在員を集めて緊急時の対応策について協議、日本の本社からの指示を伝える。私から「これからデモはますます拡大するだろう。スーチー氏らが解放されるまで終わらない。ヤンゴンだけでなく地方にも拡大している。ミャワディ(タイ国境の街)では軍が威嚇射撃をしたとの情報もあった。不測の事態が起こる可能性は十分にある。最悪の事態を想定しなければならない」と説明。大使館から退避勧告が発せられた場合の対応について確認する。1998年のジャカルタ暴動の際は数日間で9000人の在留邦人が国外退避したという。

 昨日のデモに参加した従業員からヒアリング。「75歳の“母親”が国のために頑張っているのに自分たちが黙っているわけにはいかない。解放されるまで続ける」とのこと。これが大多数の国民の声と考える。

 今日も大規模なデモが予定されていると聞いていたので、ほとんどの従業員は自宅待機としたが、出社した従業員からもデモに参加したいので午後から休ませて欲しいとの申し出があった。ネピドー(首都)の公務員も職場放棄してデモを行っているとのこと。しばらくはどの事業所も仕事どころではないという状況だ。

 午前中に2件目のオンライン会議を終えて昼食を取りに外出する。すれ違う車や人たちが皆、3本指を掲げて合図を送ってくる。大通りでは携帯電話ショップの店員たちが、デモ参加者に無料で水ボトルを配布していた。

 ミャンマー人のこういう連帯感というか助け合いの精神には感心させられる。政治に無関心な日本の若者たちと比較すると羨ましくさえも思う。なのに、どうしてこんな政治状況になってしまうのであろうか。

2月8日 沿道でデモ隊に声援を送る人たち バハン地区 (筆者撮影)

2月8日 無料で水ボトルを配布する携帯電話ショップの店員たち バハン地区 (筆者撮影)

 午後1時、オフィスに戻ると大使館から「注意喚起」のメールあり。続いて取引口座のある邦銀の支店から「正午を持って臨時休業とする」とメールが届く。事態が長引けば、経済的な損失も膨らんでいく。

 2月12日(金)及び17日(水)の全日空ヤンゴン発成田着NH814便の欠航が決まった。昨年来コロナのせいで一時帰国していた駐在員が、その帰路便で多数戻ってくるはずだったのに残念だ。全日空のヤンゴン支店長は同郷の知人であるが、コロナ対応に加えて今度はクーデターに翻弄されて、心労はいかばかりかと思う。

 明日もさらに拡大したデモが行われるとのこと。終わりは見えない。

 午後8時から全権を掌握したミン・アウン・フライン司令官がテレビで国民に向けてのメッセージを発表するとのこと。いよいよ戒厳令発動か、と身構えたが、これまでの主張を繰り返すのみで、特に新しいものではなかった。

インタビューに応じるミャンマーのミンアウンフライン国軍最高司令官=2019年2月14日、ネピドー

2月9日の動き

 午前6時起床、今日は午前8時からデモが開始されると聞き、渋滞に巻き込まれる前に出社。かばんにはパスポートと米ドル現金、日本の携帯電話、外国人登録証を入れ、車には数日分の着替えの入ったスーツケースを積んだ。

 昨夜午後11時30分に、大使館から新たな注意喚起のメールがあった。

 本8日夜、ヤンゴン地域に対しても、夜間外出禁止令(午後8時から午前4時の間の外出禁止)及び公共の場での5人以上の集会禁止令が発表されました。夜間外出禁止令の対象地域に滞在されている方におかれては、上記時間帯の間の外出は控えてください。また、引き続き不測の事態は排除されませんので、デモや集会が行われている場所には近づかず、不要不急の外出を控えるとともに、これまで以上に安全には十分注意して行動していただくようお願いします。

 夜間外出禁止令、英語ではCurfewという。この単語はミャンマーで覚えた。かつての軍事政権時代によく聞いたからだ。昨年4月からミャンマーでも新型コロナ感染拡大防止対策で店内での飲食が禁止されたため、多くのレストランが休業を余儀なくされていた。1月に入りようやく新規感染者数が減少しはじめ、ちらほらと営業を再開し始めた矢先にこの騒ぎである。既に瀕死の状態だったホテル、観光業、飲食店は壊滅するかもしれない。

 午前10時、再び大使館からのメール。

 昨夜の領事メールでお知らせしたとおり、公共の場での5人以上の集会禁止令の発表がありましたが、本日もヤンゴン市内では集団デモが継続しています。NLD党本部前や、シュエゴンダイン通り、フレーダン地区等で数百から数千人規模のデモが発生しています。
 また、ヤンゴン市のタンリン方面やフラインターヤー方面を含む橋梁では、現時点では車両での通行は可能となっていますが(一部の橋で通過車両数の制限あり。)、一部の橋では、ヤンゴン中心部に向かおうとする住民が集団で通行を求め、それを当局が制止し、橋付近で住民と当局が対峙しているという情報もあります。したがって、車両で橋を通行される必要がある方も、周辺の状況に細心の注意を払っていただきますようお願いします。

 銀行は今日も休業している。取引先の会社から支払いが遅れますとの連絡があった。地方からヤンゴンへの道路が遮断されると物流がストップし、食料の確保が困難になる可能性がある。港湾作業、税関も休業しているらしい。空港職員も出社しないため再開したばかりの国際便も飛ばせないかもしれない。不安は募るばかりだが、今は政治が全てに優先するので、外国人としては推移を見守るしかない。

 午後8時、恒例の「悪霊退散」の時間。さすがに近隣住民も疲れてきたのか、心なしか今日は金物や太鼓を打ち鳴らす時間が短かったような気がする。騒音が収まると急に静かになった。車も人も全く姿がない。嵐の前の静けさでないことを祈る。

2月9日 ヤンゴン市フレーダン交差点 数千人規模の抗議活動 (友人が撮影)