藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
冷戦期から激動の安全保障政策を担ったキーパーソンがなぜ「失敗」を語るのか
――それにしても、「失敗だらけの役人人生」というのは思い切ったタイトルですね。
実際に失敗から得てきた教訓が多いということと、これも反省ですが、酒の席での先輩の話はどうしても偉そうな自慢話になるけど、後輩は聞きたくないわけですよ。かたや他人の不幸は蜜の味で、こっちが三枚目になって失敗の体験談をしているとおもしろがって聞いてくれる。
※写真はイメージです
だから自分の失敗を克明に書いていけば、読んだ人が疑似体験できて、同じような場面に立ち至った時に思い出してもらえるんじゃないかと。そういうテーマで書き始めたら後から後から出てくるんで、「こんなに失敗してたか俺?」って自己嫌悪になりそうですけどね(笑)。
――確かに連載を読むと描写が克明です。今世紀に入っての出来事だけでも、2004年の中国軍原子力潜水艦による領海侵犯での海上警備行動発令、2009~12年の民主党政権での米軍普天間飛行場移設に関する日米協議、2013年の中国軍艦による海自護衛艦への火器管制レーダー照射など、当時大きく報道された件について興味深いエピソードが紹介されています。
手帳にその日の日程や出来事を書いていて、会議の中身や感想もあるので、ああそうだったと。ただ手帳は昔からはつけてなくて、それでも失敗の記憶は鮮明なんです。役所の仕事って一人でやることはあまりないけど、失敗すると責任が一人にかぶってきて、「俺のせいだな」というのが結構ある。
私が東京大学法学部から防衛庁に入った1980年代はまだ人気官庁とは言えず、「必要な仕事なのに誰もやらないなら俺が」という意気込みでしたが、よく最後まで続きましたよね。失敗を気にする心配性なんです。辞めていいかと妻によく言い、子どもが一人前になるまでは頑張ってと言われました。
――素朴な疑問ですが、「失敗だらけ」でどうして文官トップの次官になれたのでしょうか。入省同期の競争などもあると思うのですが。
私も連載を書いていて同じ疑問を持ちました(笑)。(2004年の)潜水艦の件なんて、役人として命取りになってもおかしくなかった。
自分の失敗なので半分気休めで言いますと、省庁間や防衛省の各局間でどこがやるんだという厄介な案件が降ってきたり、自分で拾ったりの繰り返しでした。成果の出しようがなくても、とにかくもがきましたみたいなところが、めげない奴だと思われたのかも……。よくわかんないです。