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前ヤンゴン支局長がみた「ミャンマー国軍の過信」と「クーデターへの道」

染田屋竜太 朝日新聞記者 前ヤンゴン支局長

 2月1日の朝、ミャンマーで 国家顧問が国軍に拘束されたという速報ニュースを見て、頭をガツンと殴られたような気分になった。1月末から国軍側が不穏な言動を繰り返していたことはきいていたが、民主化を踏みにじる手段をとるとは。昨年9月まで3年半、支局長として赴任した国だけに、大きく心を揺さぶられた。

 今さらながらだが、現地での取材を振り返ると、軍が今回のような無謀な行動に出る兆候がいくつか見えていたように思う。

 半世紀以上軍主導の政治が続いたミャンマーが民政移管したのは2011年。大統領になった国軍出身のテインセイン氏は大方の予想を覆して次々と民主化政策を打ち出し、ミャンマーは大きく変わり始めた。「ラスト・フロンティア」と呼ばれ、日本を中心とした外国投資も流れ込んだ。2015年、総選挙でアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が大勝し、翌年政権に就いた。

ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問=2019年11月、バンコク、筆者撮影

「期待したほどではなかった」

 私がミャンマーに赴任したのはその次の年の2017年4月。4カ月後に少数派イスラム教徒ロヒンギャの武装勢力による襲撃事件をきっかけに政府が掃討作戦を開始し、約70万人のロヒンギャがバングラデシュの難民となった。特派員としてこの問題を追い続ける日々が続いた。

 一方で赴任直後から、2020年の総選挙を見据えた取材を続けた。NLDは、スーチー氏は、前回総選挙の公約を守れるのか。次の選挙では同じような支持を集められるのか。

 ミャンマーには全国的な世論調査をするシステムがなく、正確な支持率はわからないが、政権への支持はじりじりと下がっているように感じられた。「期待したほどではなかった」という落胆が、農村部を中心に薄く広く広がっていた。

 批判の矛先はスーチー氏というよりNLD政権全体に向いていた。2015年の選挙で掲げた「少数民族和平」や「憲法改正」はなかなか進まない。テインセイン政権時に8%台を記録した経済成長率も5~6%にとどまり、ビジネス界からは「無策だ」と批判された。

 象徴的だったのは、2018年11月の国会の補選だ。唯一の上院選挙だった北部カチン州では、NLDが議席を守れず、旧軍政系の連邦団結発展党(USDP)が議席を獲得した。「本当にNLDが国軍系の政党に敗れたのか」と目を疑った。選挙前に現地を回ったが、USDPの候補者は、「テインセイン時代に戻りましょう」と繰り返すだけで、具体的な政策はほとんどきくことができなかったからだ。

ミャンマー北部カチン州で国会補選の選挙運動をする旧軍政系政党の候補。予想を覆して当選した=2018年11月、筆者撮影

 さらに、2015年の選挙ではNLDを支援したカチン州の少数民族を主体にした政党から、「政権運営能力がなくこれ以上任せられない」という声が漏れていた。

 「もしかしたら、次の選挙ではNLDは地方部で大きく議席を減らすかもしれない」。人々が「戻りたくない」と言っている軍政の流れをくむ候補者が勝利し、少数民族からもそっぽを向かれつつある現実に、そう思わざるを得なかった。

 NLD政府と国軍、スーチー氏と国軍のミンアウンフライン最高司令官はどのくらいコミュニケーションをとれているのか。首都ネピドーで議員や省庁を回るとき、外交関係者に取材するとき、そのことに焦点を当てて話をきくようにした。

朝日新聞のインタビューに応じる ミャンマーのミンアウンフライン国軍最高司令官=2019年2月14日、ネピドー

「軍人議員の25%の議席は自動的に『拒否権』となる」

 政府と国軍の亀裂がはっきり見えてきたのは、2019年1月末のことだ。NLDが国会で憲法改正のための委員会を設けるという緊急動議を出した。国軍側は「何もきいていない」と猛反発。記者が翌2月、直接インタビューした際、ミンアウンフライン氏も、「事前に知らなかった」と不快感を示した。

 憲法改正には国会の4分の3以上の賛成が必要。だが、憲法で4分の1は国軍最高司令官が指名する「軍人枠」になっている。彼らの賛成がなければ改憲は不可能だ。スーチー氏は、欧米などから「国軍と距離が近すぎる」と批判されながらも国軍への直接的な批判を避けてきた。うまく距離を保ちながら改憲を成し遂げたいという思いがあったはずだ。それが、この動議によって目に見える亀裂が入ったように思えた。

 結局、NLDが出した主要な改憲議案は2020年3月の国会で「軍人枠」の議員らによって全て否決された。議場では、「憲法を変える時、軍人議員の25%の議席は自動的に『拒否権』となる」とNLDの議員が発言すると、軍人議員2人が立ち上がり、「『拒否権』などという言葉を、国軍は決して受け入れない」と大声を上げるなど、荒れた。

 実はこの時、旧軍政系のUSDPが提案した改憲案もあった。大統領が指名すると決められている都市部の管区、地方の州の首相をそれぞれの議会で選ぶ方法に変えるというものだ。議会の多数を少数民族政党などが占めても、NLDの大統領が各地の首相をNLD側で固めている。この現状をUSDPが、「民主的ではない」としていた。

 この議案は逆に、NLD議員らの反対で否決された。USDP側は「結局NLDは民主化がやりたいのではなく我々を追い出したいだけだ」と猛反発した。地方の少数民族政党の幹部は「NLDは譲るところは譲りながら合意点を見極めてほしかった。両者の溝は深まった」と話した。

 国軍側は、NLDに対してだけでなく、スーチー氏についても不満を募らせていた。それが、ロヒンギャ問題が絡んだ、国際司法裁判所(ICJ)の問題だ。

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