染田屋竜太(そめたや・りゅうた) 朝日新聞記者 前ヤンゴン支局長
1979年、東京生まれ。2004年に朝日新聞社に入り、一貫して現場にこだわって取材に走り回ってきた。鳥取、神戸を経て大阪では警察、橋下徹市長時代の行政を担当。いかに発表に頼らず報じられるか試行錯誤した。1年の米国留学では宿題が追いつかず事件担当時より眠れない日々も。2017年から3年半、ヤンゴン支局長としてロヒンギャ問題など、関心のある記事を書き続けた。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
2月1日の朝、ミャンマーで 国家顧問が国軍に拘束されたという速報ニュースを見て、頭をガツンと殴られたような気分になった。1月末から国軍側が不穏な言動を繰り返していたことはきいていたが、民主化を踏みにじる手段をとるとは。昨年9月まで3年半、支局長として赴任した国だけに、大きく心を揺さぶられた。
今さらながらだが、現地での取材を振り返ると、軍が今回のような無謀な行動に出る兆候がいくつか見えていたように思う。
半世紀以上軍主導の政治が続いたミャンマーが民政移管したのは2011年。大統領になった国軍出身のテインセイン氏は大方の予想を覆して次々と民主化政策を打ち出し、ミャンマーは大きく変わり始めた。「ラスト・フロンティア」と呼ばれ、日本を中心とした外国投資も流れ込んだ。2015年、総選挙でアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が大勝し、翌年政権に就いた。
私がミャンマーに赴任したのはその次の年の2017年4月。4カ月後に少数派イスラム教徒ロヒンギャの武装勢力による襲撃事件をきっかけに政府が掃討作戦を開始し、約70万人のロヒンギャがバングラデシュの難民となった。特派員としてこの問題を追い続ける日々が続いた。
一方で赴任直後から、2020年の総選挙を見据えた取材を続けた。NLDは、スーチー氏は、前回総選挙の公約を守れるのか。次の選挙では同じような支持を集められるのか。
ミャンマーには全国的な世論調査をするシステムがなく、正確な支持率はわからないが、政権への支持はじりじりと下がっているように感じられた。「期待したほどではなかった」という落胆が、農村部を中心に薄く広く広がっていた。
批判の矛先はスーチー氏というよりNLD政権全体に向いていた。2015年の選挙で掲げた「少数民族和平」や「憲法改正」はなかなか進まない。テインセイン政権時に8%台を記録した経済成長率も5~6%にとどまり、ビジネス界からは「無策だ」と批判された。
象徴的だったのは、2018年11月の国会の補選だ。唯一の上院選挙だった北部カチン州では、NLDが議席を守れず、旧軍政系の連邦団結発展党(USDP)が議席を獲得した。「本当にNLDが国軍系の政党に敗れたのか」と目を疑った。選挙前に現地を回ったが、USDPの候補者は、「テインセイン時代に戻りましょう」と繰り返すだけで、具体的な政策はほとんどきくことができなかったからだ。
さらに、2015年の選挙ではNLDを支援したカチン州の少数民族を主体にした政党から、「政権運営能力がなくこれ以上任せられない」という声が漏れていた。
「もしかしたら、次の選挙ではNLDは地方部で大きく議席を減らすかもしれない」。人々が「戻りたくない」と言っている軍政の流れをくむ候補者が勝利し、少数民族からもそっぽを向かれつつある現実に、そう思わざるを得なかった。
NLD政府と国軍、スーチー氏と国軍のミンアウンフライン最高司令官はどのくらいコミュニケーションをとれているのか。首都ネピドーで議員や省庁を回るとき、外交関係者に取材するとき、そのことに焦点を当てて話をきくようにした。