不安の感染を止められない日本の政治に処方箋はあるのか?
――患者数の拡大と社会不安の高まりに押され、政治が慌てて対応するなかで、立憲主義をなおざりにしているということでしょうか。「第1波」のときは、コロナ患者も死者も欧米と比べて少なく、「日本モデル」が成功したという声もありましたが、いまなぜ、こんな状況なのでしょうか。
西田 昨年の1、2月、「第1波」への初期対応は既存の新型インフルエンザ特措法に基づく政府行動計画等をほぼ踏襲しており、東京五輪や習近平国家主席の来日計画などを踏まえるとそれなりに理解できましたがるのですが、全国の小中高校の一斉休校、小池都知事の要請に突き動かされる形で実効再生産数が下がり始めているのに政府が緊急事態宣言を発出して以降、「政治のふらつき」が目立つようになりました。それを『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか、不安か』(朝日新聞出版)では「耳を傾け過ぎる政府」、つまり「民意」を政治都合で利用する政治として捉えています。
倉持 同感です。「日本モデル」といいますが、要は法的根拠がない自粛要請で、国家が責任主体にならず、市民社会に丸投げしたものに他なりません。業者がそれで収入を減らしても、強制力を伴う公権力の行使ではないので行政訴訟も提起できない。法的に争えない措置でここまで国民の行動変容を調達できたのは、権力側にすればコスパがよかった。
そのため、感染拡大がいったん収まった時点であえて検証をして法改正まですることはないという感覚が、為政者にあったのではないか。ある意味、皮肉ですが合理的な振る舞いとも言えます。だからこそ、メディアや野党が事後的に検証をし、問題点を指摘するべきだったのに、タイムリーなネタやスキャンダル追及ばかりでそれがなかった。
昨年4、5月に野党の一部は議員立法で感染症法や特措法の改正案を検討していました。私も関わっていたのですが、感染者数が収まった時点で、野党は完全に葬り去ってしまった。立憲民主党が年末に出した法案より、ずっと目配りのきいた法案だったのですが……。
西田 新型インフルエンザ等対策特別措置法が定める「基本的対処方針」を通じて、政府は大きな方針を国民や国会に示すはずでしたが、昨年5月25日に更新されてから、年明けに二度目の緊急事態宣言がでるまで、対処方針は更新されませんでした。一体どういうことなのでしょうか。
1回目の緊急事態宣言が解除されてからも、コロナをめぐる状況は刻々と変わっていました。細かいデータや目標はさることながら、政府がコロナにどう対応するかという「大局観」は、もっと示されてよかったと思います。それなしに「Go To トラベル」などさまざまな施策が行われていくというのは、原理原則からすると本当におかしな話です。政府は国民や社会に説明する気も、説得する気もなかったと捉えられても仕方ありません。
――安倍首相はコロナ対応ついて世論の支持を得られず、体調も崩して8月末に突然、退陣を表明します。その間、そしてその後も「Go To」の扱いなどをめぐり、政府のコロナ対応は迷走します。
西田 コロナ禍のもと、世界の国々では政権への支持率が上がっていますが、日本は逆に政権支持率が下がっているという珍しい国です。感染症そのものというより、人びとの不安な感情が影響しているのではないかと考えています。政権からすれば、支持率下落は気になるので、世論に過剰に反応する。前述の「耳を傾け過ぎる政府」です。ここで興味深いのは、安倍晋三政権と菅義偉政権では、世論への反応が異なるということです。
政権に影響を与える世論には二種類あると考えています。ひとつは定量化された世論。内閣支持率、政党支持率、メディアによる世論調査が典型例です。もうひとつは、より質的なもので、著書では「可視化された民意」と書きましたが、ワイドショーの論調やSNSのランキングなど、「民意」と呼べるかどうか統計的にはかなりあやしいところもあるけれど、そのように見えてしまうもののことです。安倍政権は定量化された世論と可視化された民意の両睨みで対応しようとした。菅政権は両者を天秤にかけていたと見ています。
菅政権は定量化された世論、つまり内閣支持率が高い時は、可視化された世論は気にせず、強権的な対応をしています。日本学術会議への対応がその典型です。ところが、支持率が急落し、可視化された民意迎合に一気に傾きます。この傾向は安倍政権よりも強まっているように見えます。とても不安定です。
さらに、菅政権は自民党内“世論”にも対応しなければいけない。想起されるのが、「Go To」です。全国旅行業協会の会長であり、総裁選で真っ先に派閥としての支持を表明した二階俊博幹事長に、実質的に派閥を持たない菅首相は配慮せざるを得ません。また、観光産業、交通産業、飲食店といった地域で自民党を支えてきた経済団体にも配慮しなければならないという事情も抱えています。
倉持 今回の緊急事態宣言や特措法改正をみて思うのは、「耳を傾け過ぎる政府」が加速しているのではないかということです。象徴的なのは知事との関係。今回の特措法改正も1月9日の知事会の緊急提言が決定打になっている。菅政権は知事会の声やSNSなどの「新しい世論」に対して弱すぎる。僕は、特措法や感染症法の改正が場当たり的になってしまったのは、知事会からの要請が大きいと思っていて、「耳を傾け過ぎる」ことの弊害が出ていると思います。
日本にはこれまで、安保法制にしても、共謀罪にしても、基本的にアメリカの意向、“天の声”があったのですが、コロナ対応についてはアメリカも自国の対応に追われ、手が回らない。その結果、日本の統治機構やリーダーが、国民にこびるということでしかビジョンを示せていない。ビジョンなき場当たり的民主主義、現状を守るだけの保守政党が選挙で勝ち続けてきたなれの果てを、コロナ禍が図らずもあらわにしたと思います。