「国益にとって芳しくない」事態に応えられる求心力を持つ新会長をどう選ぶのか
2021年02月16日
思いもかけなかった東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の会長交代。これはすこぶるつきの難題だ。森喜朗氏に代わって誰を新会長にするかだけでなく、それを誰がどうやって決めるかも、国内外の厳しい眼にさらされているからだ。
国内メディアの世論調査を見る限り、東京五輪・パラリンピックについて、新型コロナを理由として、開催の延期、ないしは中止を求める民意が大きくなっているように見える。「開催できればいいが、無理して開催すべきことではない」という声が、もはや世論の大勢であろう。
それゆえ、新しい会長人事においても、いざとなれば「中止や延期の判断ができる人」が望ましいということになる。責任重大である。
それにしても、今回の「森発言」に対する海外の世論、国際オリンピック委員会(IOC)など大会関係者、メディアの厳しい批判は驚くばかりだ。発言直後、国内ではなんとか乗り切れると見る向きもあったが、森会長が居座り続けることが可能な情勢は、あっという間に吹き飛んでしまった。
森会長自身の辞職の意向表明が遅かっただけでなく、この間の打つ手打つ手の勘違いが事態をさらに悪化させたのは明らかだ。なかでも、2月11日におこなわれた森会長と川淵三郎氏(元日本サッカー協会会長)との会談は、驚天動地としか言いようがない。テレビのニュースで見た時には、目を疑い、耳を疑わざるを得なかった。
森会長は、こんな“密室での交代劇”のシナリオが、今どき通用すると本気で思っていたのだろうか。
そもそも自らの不祥事(女性蔑視発言)によって引責辞任をする人が、どうして後継者を指名できるのか。多くの人がそう感じただろう。この一事をもってしても、森会長の反省心や薄さや今までの組織の人的支配の構図が透けて見えてきた。
さて、この不幸な「森発言」事件を「禍(わざわい)を転じて福をなす」という方向に転換することができないか。
現在、組織委員会の動向、関係者の一挙手一投足には、全世界の注目が集まっている。主役の森会長が川淵氏の耳もとで交代してくれるようささやく。本人たちは“密室”でやっているつもりかもしれないが、実は大きなステージで演じられており、全観客がライブ中継で見ているようなものだ。そこではあらゆる小策や手練手管が通用しないということを、われわれはまずわきまえるべきだろう。
逆に言うと、われわれがこの件を説得力のあるやり方で決着させることができれば、それは一気に広がって全世界から評価され、その勢いによって日本の政界、経済界、スポーツ界などの風景を変えていくこともできるはずだ。それほどまでに、今回の件は日本の構造的劣化を示す一例とも言えよう。
2月13日の朝日新聞によると、12日に開かれた組織委員会の理事と評議員らによる合同懇談会では次のような発言もあったという。
「理事会は森会長の意向に追随する機関ではない。後任指名すること自体が論外で、透明性を確保して会長を決めるという当たり前のことをやるまでだ」
組織委員会の人たちは、よかれ悪しかれ森会長の“体質”に染まった人たちばかりかと感じていただけに、こんなまっとうな見識を持つ理事が含まれていたことに、ある意味安堵(あんど)した。
とはいえ大半の理事は、森会長のくだんの失言に笑いで応え、異議を唱えないことで同調してきた人たちだとの報道もある。そういった性格の理事会に、果たして後任会長を選ぶことができるのか。疑問を抱かざるを得ない。
12日の合同懇談会では、組織委員会内に後任を選ぶための「候補者検討委員会」を設置し、委員長にはキヤノン会長兼社長CEOの御手洗富士夫名誉会長が就くことになった。検討委員会のメンバーは御手洗氏が組織委員会の理事から男女半々になるよう選び、メンバーは公表せず、会議も非公開とし、候補者選定終了後に過程を公開するという。組織委員会の定款によると会長は理事の互選で決まるが、検討委が会長候補を理事会に推薦するかたちだ。
だが、世界が注視する舞台で、そんな形式的な小細工が通用するだろうか。委員長になる御手洗氏は納得しているのか。政府が多用してきた「審議会」をつくるかのような安易な手法で、このすこぶるつきの難題を乗り切れるとは到底思えない。外から見ると、森氏だけではなく組織委員会そのものも信頼を失墜させていることを忘れてはならない。
日本国民から見ても、そして海外から見ても、これまでの経緯を見ると組織委員会の体質や考えは、その大半が森会長と同じと見なされてしまった。だから、組織委員会の理事が後任を選んでも、単に“包装紙”を替えただけという誤解が生じるだろう。同じニワトリからうまれた卵に本質的な違いはないと見られる恐れがあろう。
要するに、今の理事会が新会長の選任を主導する限り、国際社会からの十分な理解は得られないのだ。
内外からの中途半端な理解で再出発することになれば、そんな組織委員会が求心力を持つことは残念ながらあり得ない。世界中を苦しめるコロナ禍のなかで、オリンピック開催の是非を決断し、いかなる結果であれ、世界を納得させることは至難の業であろう。
「国益にとって芳しくない」(菅義偉首相)この事態を収めるには、やはり菅首相が自ら乗り出すしかない。ここで首相が陣頭に立って火中の栗を拾い、苦境を突破することが必要だろう。
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